株式会社日本人材機構
代表取締役社長
東京などの大都市の経営人材と地方の中小企業の人材マッチングを手掛ける株式会社日本人材機構の代表を務める小城さん。TSUTAYAを運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)の代表取締役常務、カネボウ(現クラシエホールディングス)と丸善(現丸善CHIホールディングス)では社長を歴任するなどプロ経営者として活躍されています。今回はご自身のキャリアについてお話しいただきました。
通産官僚から社長のカバン持ちになる
私は青臭い男で、日本が抱える問題を一つでも二つでも解決して次の世代に渡すことが自分の役割だとずっと考えていました。「国土が狭く、資源を持たない日本には産業しかない」そう思い、大学卒業後は通産省(現・経済産業省)に入省しました。役所は2年おきに仕事が変わるので、いろいろな仕事を担当しました。最初に配属となったエネルギーの部署では、中東情勢が不安定だったこともありホルムズ海峡を通過中のタンカーの数や原油の備蓄量を毎日確認していたのを覚えています。またハイテク産業担当の部署では米国との貿易摩擦問題に対応すべく忙しい日々を過ごしました。その後、法律を書く部署や人事部門を経て、最後はベンチャー企業の支援を担当しました。
入省して10年が過ぎた32歳くらいの頃、超有名企業に入った同年代の人たちが元気をなくしていくことに気づきました。彼らの姿を見て、「なんでこんなことになるんだろう?」と疑問を持ちました。目がどんどん死んでいくのです。その一方、ベンチャー起業家たちは、一様に元気でイキイキとしている。そのとき以来、多くの優秀な人材を劣化させている大企業社会に対する疑問と怒りを感じています。その時は、「ベンチャー企業を支援すれば日本は良くなるはず」と考え、ボストンやシリコンバレーに何度も行って勉強し、ストックオプションやエンジェル税制などの政策を立案しました。
ただ、実施した政策がなかなかうまくいきません。「なんでだろう?」と考えていたとき、「リスクもとらず、金を稼いだこともない役所の人間がベンチャー起業家の支援などできるはずがない」と自分の構造的欠陥に気付き、これはマズイと思いました。そして、「今後の人生は、産業を支える日本の人材を活かすための活動をしよう。それには、まず自分がリスクをとったり、収益を上げる経験をする必要がある」そう考え、役所を辞めてTSUTAYAを運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)に転職しました。ビジネスの修行のためです。
35歳で裸一貫からのスタート。最初の仕事は社長のカバン持ちでした。初日に社長の自宅に行ったところ、「それを持って行って」と言われたのがゴルフバッグ。「まぁカバンの一種だよな」そう思って一緒にゴルフ練習場に行く。社長がボールを打つのをひたすら後ろで見ている。たまに、「どう?」と聞かれると「ナイスショット」と言う。それが初日の仕事でした。さすがに、「この転職は失敗した」と暗くなりました。ただ、その夜、「あ、社長は自分の鼻を折りにきたんだ」と気付きました。「通産官僚のエリート意識のままでいたらダメだぞ」そう伝えたかったんだと思いました。そのとき、「よし、ゼロからスタートしよう。なんでもイチから勉強してやろう」と覚悟が決まりました。この時の経験が今の自分のベースになっています。今でも社長にとても感謝しています。
入社して2年後にCCCの取締役になり、翌年、ツタヤオンラインというIT子会社を設立し社長になりました。そのとき、社長から「出資金を出しなさい」と言われました。まだ、住宅ローンも残っていてお金がない。結局、当時の自分にとっては多額の借金をして出資しましたが、そのときに「リスクをとるとはこういうことか」と初めてわかりました。同時に自分よりもはるかに大きなリスクととっているオーナー社長の凄さに気づきました。あと、CCCではリスクへの考え方も学びました。役所ではリスクを嫌いますので、リスク(懸念材料)を考えつく人が「できる奴」とみなされます。なので、私もリスクには敏感になり、ある課題に対して20個くらいのリスクはすぐ思いつくようになっていました。
ただ、CCCでは、ある案件に対して2〜3個のリスクを取り上げて、それの対処策が決まれば、その案件は先に進めていきます。「まだこんなにリスクがあるのに、それだけの手当てで大丈夫かよ」と思ったりしましたが、よく考えると、大きなリスクを3個抑えれば、6〜7割のリスクは潰せる。だから先に進む。先に進むことで新たなリスクがまた出てくる。それをまた2〜3個潰していきながら更に先に進む。事前に全部のリスクを洗い出して検討していたら先に進めることなんてできない。このやり方でないと新しいことは進められないことがわかりました。
また、なぜベンチャー企業の成長が早いかも身をもって知ることができました。CCCではユニークな人材が多く、部下の中には分数がわからない人もいました。最初は、分数を教えることから育成が始まりましたが、3年も経つと立派な人材に成長するんです。ベンチャーでは、自分の能力の限界を超えた仕事をドンドン任されるので、常にパツンパツンの状態になります。でも、それを続けると人間って成長してしまうんです。本当にグングンと音が聞こえるくらいの勢いで伸びていきます。一方、大企業の社員は、本来の能力の6〜7割くらいしか使っていないように見えました。なので、数年で逆転されることになります。
カネボウと丸善の社長を歴任する
CCCでの修行を7年で終え、中学・高校の先輩である冨山和彦さんが代表を務めていた産業再生機構に転職しました。そして、43歳のとき、経営再建中だったカネボウに社長として出向しました。当時のカネボウは化粧品事業だけが好調で、それ以外の54事業は大半が赤字。自分は化粧品以外の事業を担当する役割でした。驚いたのは、中に入ると、優秀な人材ばかり。人材の層の厚さに本当に驚きました。「なんで、こんなスゴイ人材がいるのに潰れるんだ。経営の舵取りを間違えるとこうなるんだ」と経営の怖さを改めて感じました。
カネボウでの仕事は1年半の短期で終わり、その後しばらく失業していました。私は、「この国では健康でありさえすれば餓死することはない」と考えています。なので、失業への恐怖はあまりありません。日本は素晴らしい国だと思います。ただ、こうした国になったのは明治維新後や終戦後に努力した先達のおかげです。我々の世代は、そういた先達の努力に依存するだけではなく、何か一つでも課題を解決して次につなげる義務があると思っています。その後、知人の紹介で丸善の社長に就任し、7年務めました。
実は、再生機構時代から「破綻企業は似ている」との話を耳にし、自分でもそう思っていました。公的機関から給料をもらって仕事をした以上、何かを社会に残す義務も感じていました。そのことを深く突き詰めたいと思うようになり、最初は本でも書こうかと思いましたが、本はすぐに絶版になる。でも、学術論文なら査読に通れば長く残すことができる。これまでに実践してきたことをアカデミックに真面目に分析するのも悪くない。そこで、いい歳をして東京大学大学院経済学研究科に入り、企業の破たんプロセスの研究を行いました。その後、政府から打診があって日本人材機構の社長に就任し、現在に至っています。
私は、リーダーの本質は、「リード・ザ・セルフ(自分をリードできないと他人をリードすることはできない)」にあると考えています。そのため、自分が常に成長すること、それには自分に厳しくいることが大切だと考えています。また、リーダーには「知」と「軸」が必要とも感じています。知は経営に関する知識、軸は価値観です。私には人本主義の考えがあり、優先順位は顧客や株主よりも従業員を高く置いています。ただ、従業員は全員でありません。会社のミッションに共感し、その実現に向けて努力している人を従業員と定義していて、それ以外は従業員とはみなしません。昔ながらの日本的経営の最大の欠点は、さぼっている人も含めすべての従業員を大切にしてしまった点にあると思っています。
東京の経営人材と地方の中小企業をつなぐ
私が現在、代表を務める日本人材機構では、東京など大都市で活躍する経営人材と地方の中小企業の両者をマッチングさせるビジネスを展開しています。当社のミッションは、自分の力をフルに活かして、自分が住む地域で自分らしく活躍したい人材と、地域に根ざし、地域の将来を担う中小企業の両者の志を結ぶことです。そして、新たな人材サービス市場を切り拓く先駆的企業となり、地方の発展に寄与していくことです。「地方こそ、新しい日本」です。日本がどんな未来へ向かっていくか。地方創生は、この国の大切な課題であり、希望です。当社は、人材の力で地方創生を目指していきます。
東京には大企業や優秀な人材が多く存在します。ただ、残念ながら前述の通り、大企業では組織の歯車の一つとなるため、自分の能力を最大限発揮できる仕事にはなかなか就けません。彼らの不満の声を聞くたびに、もったいないと感じます。一方、地方の中小企業は更なる成長のため優秀な経営人材を求めていて、オーナーの右腕として経営に深く携われる機会が数多く存在しています。「自分の経験をもっと活かせる場所で、世の中に貢献していきたい。仕事にやり甲斐を感じたい」そんな人たちに地方で大きく活躍できる場を提供しています。
当社のゴールは三つあります。一つは、大都市で働く人材の地方への転職、地方企業による大都市からの採用を、「新しい常識」とすること。二つ目は、「日本の人材が地方に動く、新しい社会価値」および「地方企業支援の新しいモデル」を創出すること。三つ目は、一人一人の日本の人材が活躍し、その地方ならではの経済活動を生み出し、「地方こそ、新しい日本」という価値転換を進めることです。当社は、2023年3月までに解散する時限的な組織なので、それまでにこのゴールを達成できるように全力で取り組んでいます。
私は、秘境めぐりが趣味なんです。ニューギニアやアマゾンの奥地、北極や南極にも行ったことがあります。一番面白かった経験は、ニューギニアのダニ族との出会いです。彼らは2万5000年前からライフスタイルを変えていないんです。原始的な生活を営み、数字も5までしかなく、年齢という概念がありません。みんな自分の生活に誇りを持ち、幸せそうな顔をしています。そんな姿を見ると肩の力が抜けて楽になりますし、「今の日本での生活とどっちが幸せなんだろう?」と考えたりします。
私は、「自由」という言葉が好きです。自由は邪魔する人がいないという意味で今は使われていますが、これは日本が近代化する過程で、リバティとかフリーダムの訳語に使ったことからその意味になったそうです。自由は、もともと仏教用語で本来の意味は「自らであるが由縁(ゆえん)」、すなわち自分を邪魔する第三者がいるとかいないとかではなく、自分が自分らしさを発揮している状態、自分らしい人生を生きている状態という意味だそうです。日本でも、本来の意味での自由を謳歌する人がもっと増えるといいなと思って、今の仕事に取り組んでいます。
1961年、東京都生まれ。1984年通商産業省(現経済産業省)入省。97年カルチュア・コンビニエンス・クラブ入社、02年代表取締役常務。04年カネボウ(現クラシエホールディングス)代表執行役社長(産業再生機構からの出向)、07年丸善(現丸善CHIホールディングス)代表取締役社長。15年から現職。 西武ホールディングス、ミスミグループ本社 社外取締役 東京大学法学部卒、プリンストン大学ウッドローウィルソン大学院修了、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学博士)