シュウゴアーツ
代表
現代美術に特化したギャラリーを運営するシュウゴアーツを創業した佐谷さん。六本木で自前のギャラリーを手掛ける一方、国内に限らず香港をはじめ海外のアートフェアにも積極的に出展するなどグローバルな活動を展開されています。今回は、美術商の仕事内容やご自身のキャリアについてお話しいただきました。
現代アートに特化した美術商を営む
私は、子供の頃から音楽が好きで、ビートルズから始まり、ハードロック、ジャズ、クラシックなど何でもかじりました。将来は音楽関係の仕事に就きたいと思っていましたが、父親が銀行勤務を辞めて画廊で働き、まもなく独立、佐谷画廊を立ち上げました。大学を卒業するとき、父から「うちに来ないか?」と誘われましたが、音楽ならともかく美術のことは全然わからない。ゼミの先生に相談に行って、「やっぱりサラリーマンになります」と言ったところ、先生から「当たり前だ!」と言われ、一般企業に就職しました。
就職してからも画廊を覗いたりしていましたが、そこでアーティストや美術商の方と話をしていく内に、美術の面白さがだんだんわかってきました。会社勤めを辞め、父の画廊で働く決心をしたものの、私は美術を専門に勉強したことがない。「この絵のどこがいいのか?」そのポイントを示す自信がない。そこで、働き始める前に美術史家ゴンブリッジの名著に載っている作品を片っ端から見て周るバックパックの旅をすることにしました。ロンドンからスタートして、ヨーロッパ、アメリカの美術館を都合半年かけて周りましたが、ギリシャ美術から当時の現代美術まで、このときに見たものはすべて私の宝になっています。
美術商見習いとしてスタートするまで、セザンヌの絵の良さを理解するには3年ほどかかりました。この間、ひたすら絵や彫刻に触れ、見る量を増やしていきました。図書館に行って飛鳥時代以降の仏像が網羅されている全集をスキャンするかのように通して見る。そんなこともしました。すると、更に3年くらいかかりましたが、アーティストや画商などプロが「これいいね」と言うものと自分がいいと思える作品が一致するようになってきました。そして、自分の説明を買い手(クライアント)が納得してくれるようにもなりました。一人前になるには、量をこなすことが大事だと改めて思います。
佐谷画廊で15年働いた後、独立してシュウゴアーツ(ShugoArts)を立ち上げました。私たちは、現代美術に特化したギャラリーを運営しています。美術商やギャラリーというと、どういう仕事かわかりにくいかと思いますが、簡単に分けると、例えば骨董商は制作者がとうの昔に亡くなっている作品をストックして売る仕事。現代美術のギャラリーは、生きているアーティストの作品を展示して売る仕事です。その点で我々の仕事は、作家を抱える出版社や、ミュージシャンを抱える音楽事務所の仕事に似ています。彼らも、今生きている作家や歌手を見つけて、一緒に作品づくりに取り組み売っているわけですから。彼らと我々が違う点は、作品1点当たりの単価が高く、数的なミリオンセラーを狙うわけではないこと。電子化できないことも異なる点です。こちらはモノありきの商売で、作品と作品が展示された空間が大事。これは今後も変わることはありません。
私は社員によく、「自分たちは2つの王国に仕えている」という話をします。一方は作り手であるアーティスト王国。もう一つは買い手であるクライアント王国。両者の間に立ち、双方のバトラーのような務めを果たさなければならないこともある。シュウゴアーツは10人強のコア・アーティストを抱えています。アーティストとして作品を売るだけで食べていける人は少ないもの。美大を出ても毎年1%残るかどうかの世界です。今売れていても、急に売れなくなることもありますので、時には彼らの人生相談にものったりします。そういう意味では、アーティストというベンチャーの目利きをしたり、サポートをする仕事とも言えるかもしれません。
地上げに3回あいギャラリー選びで苦しむ
シュウゴアーツとしてギャラリーを始めてから、実は3回も地上げにあい移転しています。特に3回目の2015年の時は場所探しに苦労しました。仲間のギャラリーと倉庫ビルをギャラリービルに仕立てて使っていたのですが、1年以上探しても使い勝手のよい物件がなく、その過程で4人いたスタッフの内、3人が辞めるという事態が起こりました。このときは先が見えなくなり、「もう一人辞めたら店をたたもう」と思うほど絶望しました。でも、不思議なことにそれまで10年間、募集をかけても一向に集まらなかったのに、履歴書を見ただけで即採用というような情熱のある優秀なスタッフが入ってきたんです。
募集にあたって特に目新しいことをしたわけではないんです。でも、自分とは方針が合わないということで辞めていく人が出たら、今度は自分の意をくんでくれる人が新たに入ってきた。それにより雰囲気が良くなり、マネジメントも成り立つようになった。結果、どん底の状態から今は最高のパフォーマンスを出すチームにまでなりました。空いたスペースができると、それを埋めるように新しいものが入ってくるという「空白の法則」のようなものを実感しています。
ひと昔前は画廊と言えば銀座でした。でも、今、銀座では画廊が減ってきています。私たちは昨年秋に六本木に出来たギャラリービルに移転しました。建築家の青木淳さんがシュウゴアーツのスペースを設計してくれました。床も壁も天井も真っ白、照明が天井になくても部屋が明るいんです。それに以前のギャラリーでは空間をいくつもの部屋に区分けしていたものですが、ここは仕切がほとんどなく広々とした空間になっています。コンセプトは、アーティストの「原っぱ」。子供が遊ぶ原っぱでは、遊びのルールを決めるのは子供たち。同じようにここでも、アーティストに自由な発想で展示して欲しいと願って、このような場をつくりました。ちなみに、このエリアだけで10軒以上のギャラリーがあるので、これからは銀座にかわって六本木がギャラリーの街になっていくかもしれません。
経営者として大切にしていることは三つあります。一つは、自分の経験を惜しみなく伝えること。もったいつけずにわからないことがあれば、すべて教えるようにしています。二つ目は、やって欲しいこととやって欲しくないことを明確に伝えること。これは行動規範といえるかもしれません。三つ目は、社員の成長を応援すること。自分も常に成長したいと思っていますし、みんなにもその気持ちを持ってもらいたい。海外のクライアントが多いので英語力が必要です。英語のレッスンが必要なスタッフには補助を出すようなこともしています。少なくとも社員の成長を妨害しないようには努めています。
宇宙旅行が目先の夢
先日、宇宙飛行士の山崎大地さんとお会いする機会がありました。特に米国では宇宙ビジネスが続々と出ていて、そう遠くない未来に宇宙旅行が現実的になると感じました。子供の頃、アポロ11号にのったアームストロング船長が月面着陸した映像をライブで見て、とても興奮しました。早速、翌日から友達と宇宙飛行士になる秘密の訓練を始めました(笑)。そして、ロケットの模型をつくり、校長先生に校庭を見るようにお願いして、ロケットを飛ばすこともしました。結果は、もちろん失敗でしたが…(笑)。ともあれ忘れていた子供時代の夢を思い出し、いつかは宇宙旅行を実現させたいと思っています。
以前は、「早くリタイアしてゴルフ三昧の日々を過ごしたい」と思っていました。でも、今は仕事の動きが早くて目が離せない状況が続いていますし、予期せぬ出会いの連続で仕事が面白くて仕方ありません。この仕事を長く楽しく続けていきたいと思っています。前述の通り、私たちは10〜15人のアーティストを抱えています。ひとつの展覧会は約1ヶ月半なので、全員が一巡するまでに2年以上かかります。年齢を重ねる内に、「あと何回、彼らの個展ができるのかな?」と思うと、ひとつひとつの展覧会の内容を濃くしていきたいと強く思っています。
今の時代、もうゴッホは出てこないと思います。これだけの情報化社会になると、生きているうちに誰かが発掘してしまうからです。私たちは現代美術に特化していますので、生きているアーティストが対象です。なので、これまで作った作品も大事ですが、それ以上に「今後どれだけいい作品をつくるんだろう?」と彼らの潜在的な力・将来性を見ています。「彼らの埋蔵量が将来に向けてどれくらいあるか?」これが目利きをする上でのポイントになります。また、クライアントに対しては「シュウゴアーツに行けば必ず新しい作品、いい作品に出会える」そう思ってもらえる存在になりたい。作り手と買い手をつなぐ間の存在としての務めを果たしていきたい、そして次の世代につなげていきたい、と考えています。
佐谷周吾 [さたにしゅうご] 美術商 有限会社シュウゴアーツ代表 1958年札幌生まれ。1982年慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、化学メーカー勤務を経て1984年父・和彦の佐谷画廊に加わる。2000年に独立してシュウゴアーツ設立。現代美術を中心に取り扱い、自社ギャラリー、美術館での展覧会を企画実現しつつ、国内外のコレクター・美術館・企業に作品を納めてきた。ギャラリーは13年間で三度の地上げ移転を重ね、昨秋、六本木に完成した株式会社森ビルが建てた初のギャラリービルに移転オープン。これまでに東京都写真美術館、東京都現代美術館、東京国立近代美術館などの評価委員、また武蔵野美術大学、慶應義塾大学などのアートマネージメントコースで講師などを務める。