代表プロフィール
元・松井証券取締役で経営戦略・IR専門の経営コンサルタント。上場企業2社の社外取締役も兼務
渡邊将志(わたなべ まさし)
渡邊将志オフィス株式会社 代表取締役社長
株式会社エプコ 社外取締役 (東証スタンダード)
株式会社ニチリョク 社外取締役 (東証スタンダード)
法政大学大学院(MBA) 兼任講師
山口女性大学院 講師
<現職>
■経営コンサルタント(経営戦略・IR専門)
松井証券で利益7倍・株価3倍にした経営ノウハウをベースに、収益と株価アップの同時支援ができる数少ない専門家。上場企業を中心に30社の支援実績がある。
■社外取締役(兼務)
松井証券での取締役経験や上場企業向けの経営コンサルティング実績が評価され、上場企業2社(株式会社エプコ、株式会社ニチリョク)の社外取締役を務める。
■講師(兼務)
法政大学大学院(MBA)ではゼミナールの指導教員、山口女性大学院では経営戦略・リーダーシップ・ロジカルシンキングの講師を務める。
<職歴>
1994年日興証券入社。営業、ニューヨーク駐在、M&A業務(30件の成約案件)に従事。
2001年松井証券入社。「ナンバーワン」「オンリーワン」にこだわり、数々の実績を上げた。
2001年上場準備リーダー。東証一部上場(業界初)を実現。
2001年経営企画課長。経営戦略の立案で業界No.1シェア、経常利益7倍(30→225億円)を達成。
2004年広報IR担当部長。年500件の取材対応で株価3倍(1200→3900億円)を達成。
2007年事業開発部長。日本初の商品開発に成功してビジネスモデル特許を取得。
2009年取締役(当時38歳)。事業開発部長を兼務しながら全社マネジメントにも携わる。
2014年渡邊将志オフィス株式会社を創業、代表取締役就任(現職)
2021年株式会社ニチリョク 社外取締役就任(現職)
2022年株式会社エプコ 社外取締役就任(現職)
2023年法政大学大学院(MBA) 兼任講師就任(現職)
「最高の経営ノウハウを創り、一人一社でも多くのビジョン実現を支援する」をミッションに様々な領域で活動を続けている。
本業の経営コンサルティングでは、上場企業を中心に経営戦略・IRを専門に収益と株価アップを支援。
上場企業2社の社外取締役を務める他、法政大学大学院と山口女性大学院の講師も兼務している。
趣味はラテンダンスで週5日踊り、80歳まで現役で働ける体づくりにも取り組んでいる。
<学歴/資格>
慶應義塾大学総合政策学部卒業(1994年)
早稲田大学大学院(MBA)修了(2007年)
日本証券アナリスト協会検定会員
(*)クライアントから「いつもニコニコしていて相談しやすい」とよく言われるのが強み
著書・寄稿
「論理力より創造力」(渡邊将志著、講談社出版センター)
「アイデアは才能では生まれない」(美崎栄一郎編著、日本経済新聞出版社)
「修了生が本音で語る国内MBAスクール白書」(飯野一編著、中央経済社)
「早稲田ビジネススクールレビューvol.06」(日経BP企画)
(*)MBAや事業開発リーダーに関する書籍を執筆
メディア掲載
「日本経済新聞」2018年4月12日掲載
渡邊将志は金融・ITなど12社と契約するフリーランスとして経営支援を手がける
(*)1万人の顧問の中から選ばれて日経新聞の取材を受ける
「プロシェアリング・コラム」(サーキュレーション)2019年11月
株価3倍、投資家の個別問い合わせ10倍。IR・経営戦略のプロ渡邊将志氏による、東証一部への鞍替えで企業価値を高めたIR戦略成功の秘密
全文は「こちら」からご覧いただけます。
(*)株式会社アイル(東証一部)さんへのIRコンサルティングでは、2年で株価を最大5倍にアップ
「PROFESSIONAL VOICE」(サーキュレーション)2018年6月
独立して3年、順調に実績を積んでいた渡邊さんがサーキュレーションに出会って変わったこと
全文は「こちら」からご覧いただけます。
(*)朝5時から仕事スタート。週5日ラテンダンスを踊っているライフスタイルが紹介されている
「顧問紹介」(パソナJOB HUB)2023年10月
IRと経営企画の同時強化で、中長期的な株価向上を実現
全文は「こちら」からご覧いただけます。
(*)「プロフェッショナルの提供価値」と「仕事の価値観」をお話ししています
IRセミナー実績
「株価を上げるIR強化戦略」(DYM主催)2023年8月
(*)IR強化方法を踏まえて、実際のIRコンサルティング事例を説明
「東証プライム、スタンダード暫定組のためのIR」(サーキュレーション主催)2023年3月
30社以上のIR強化を実現したプロが語る、企業価値を高めるIR強化方法と支援事例
(*)IR支援事例と共に上場基準達成のための企業価値を高めるIR強化方法について説明
「企業価値向上のためのIR経営戦略」(パソナJOBHUB主催)2021年7月
コーポレートガバナンスコード改定や東証再編を控え、どのようにIRを強化していくか?具体的な実践方法と事例を紹介
全文は「こちら」からご覧いただけます。
(*)IR強化には「成長戦略」「IRプレゼン資料」「投資家説明」すべてのレベルアップが必要と主張
「コロナ後の株価向上を目指す経営戦略・IR戦略」(ZUU online主催)2020年4月
経営者が知っておくべき「新型コロナウイルス後の○○」をテーマにしたZoomによるウェビナー
視聴は「こちら」からご覧いただけます。
(*)重大な危機のときは、経営者が将来の明るい未来を熱く語ることが大事と主張
「東証一部上場を目指すベンチャーの戦略的IR」(サーキュレーション主催)2020年2月
株価3倍、投資家の問合せ10倍を実現した連続鞍替えの裏側
全文は「こちら」からご覧いただけます。
(*)株式会社アイル岩本取締役と「ジャスダックから東証一部上場への鞍替えに成功した秘訣」を対談
「経営戦略としてのコーポレートブランディング」(サーキュレーション主催)2018年7月
これから求められる、広報・PR・IRの役割と戦略とは?
全文は「こちら」からご覧いただけます。
(*)IRでは成長戦略を明確にし、何が何でも目標を達成するという強いコミットが必要と主張
研修実績
「山口女性大学院」(山口県主催)2019年7月〜現在
女性のための経営が学べるビジネススクール「経営戦略」「リーダーシップ」「ロジカルシンキング 」
(*)「山口女性大学院」では、特技のラテンダンスも披露しながら、楽しく真面目に研修
「山口県女性創業サポート事業実践的創業セミナーPOWERS」(山口県主催)2019年6月〜現在
女性のための実践的創業セミナー「組織とリーダーシップ」「ロジカルシンキング」
(*)「POWERS」では、話が止まらないくらいパワー全開でワークに取り組まれていた
「miraiビジネスアカデミー」(山口県主催)2019年6月〜現在
ここをおさえればビジネスはうまくいく!経営戦略
らしさを活かすリーダーシップ
「
実践型経営戦略セミナー」(仙台市主催)2018年8月
ケーススタディで学ぶ実践型経営戦略セミナー~その時経営者はどう判断したのか~
(*)復興支援を兼ねて仙台の経営者向けに研修を実施
現在の職務内容
1.経営コンサルティング
【内容】経営戦略(中期経営計画)、IR(投資家向け広報)
【実績】30社超(上場企業を中心にIT、AI、広告、商社、電機、食品、物流、建設、不動産、人材等)
2.MBA研修
【内容】経営戦略、リーダーシップ、ロジカルシンキング
【実績】100回超(山口女性大学院、仙台市、上場企業等)
<主な経営コンサルティング・顧問実績>
上場企業を中心に30社超のコンサルティング・顧問実績がある。
<主な研修実績>
上場企業の他、行政(山口県、仙台市)、大学(早稲田大学大学院(MBA))等、幅広い領域で研修を実施している。
前職(松井証券)での職務内容と実績
経営戦略・事業開発・IR・広報・上場支援の領域で「業界No.1」や「日本初」の実績を上げる。
経歴(これまでの人生の歩み)
1971年千葉市生まれ。「将軍や大将を志す人になって欲しくて”将志”と名付けた」と親から言われ幼い頃からリーダー(将)を意識。戦国武将に憧れ「絶対に自分もかっこいいリーダーになる!」と決意。子供の頃の夢は学校の先生。小5のとき担任の先生から勇気づけられ「自分も先生になってみんなを元気にしたい!」と思ったから。しかし、大阪府立北野高校2年のときバブル経済を見て「華やかな金融の世界でグローバルに働こう!」と方向転換する。(つい志よりカネに目がくらみました…)
(*)「将来の夢は学校の先生になること」と小学校の卒業文集に記載
1994年慶應義塾大学総合政策学部卒業後、日興証券入社。最初の仕事は営業。猛烈なノルマや損をさせた顧客への罪悪感から挫折。眠れない夜を過ごす。「早く営業から抜け出たい」ともがいていたとき、ある本に出会う。その中に「4ステップでキャリアプランを作成して実行すれば夢は必ず実現する」と書いてあった。ステップ1は「分析」。自分が好きなことや得意なことを見つめ直す。ステップ2は「目標」。自分が本当になりたい姿を描く。ステップ3は「方法」。目標に至るまでの方法・手順を設定する。ステップ4は「実行」。手順に沿って一つ一つ実行していく。これをやれば自分が望む人生を送ることができるとあり、すぐ実行。
これまでの人生を分析した結果、目標(なりたい姿)を「理論だけでなくビジネスも教えられる先生になること」とし、「20代で金融のプロ、30代でリーダー、40代で経営者、50代で先生になる」との方法(キャリアプラン)を作成。「絶対に実現させる!」と決意。人事申告書に「海外で働きたい!」と熱く希望を書いたら半年後にニューヨーク駐在が決まる。「本当に実現した!」とキャリアプラン作成(4ステップ)の効果に驚く。
(*)24歳のときに作成した「キャリアプラン」のイメージ
帰国後、M&A業務に従事。大学で会計学を専攻していたものの学問と実務の差、ファイナンスの知識が足りずに挫折。そこで、目標を「M&Aの実務知識で誰にも負けないプロになる」とし、「必要な知識を一つ一つ身につけることでM&Aの実務スキルを習得する」との方法を決めた。その後、株価算定書の作成を含め4年間で30件超の成約案件に携わる。30歳のときインターネットの将来性に魅力を感じて黎明期だったネット証券への転職を検討。周囲からの猛反対や年収半減にビビる中、「30代でリーダーになるにはベンチャーがいい」それに「世の中を変える仕事をしよう!」と転職を決める。
(*)年収が半減したことを転職雑誌で大々的に公開されました…
2001年松井証券入社。当時は無名の会社だったため交流会などで有名企業の人がチヤホヤされる一方、会社名を誰も知らずに肩身の狭い思いをして挫折。最初は経営企画部に配属、自社の上場準備リーダーになる。目論見書や事業計画書、投資家向けのIRプレゼン資料の作成など深夜に及ぶ作業が連日続く。ただ「絶対に上場を成功させて世の中を変えてみせる!」との強いモチベーションから充実した日々を過ごす。半年間のプロジェクトの末、東証一部への上場を果たす。
(*)上場セレモニーでは充実感一杯で誇らしい気持ちに
その後、経営戦略の立案に携わるが、どのように将来の戦略を立てたら良いかわからず挫折。経営戦略の本を片っ端から読み漁ったところ、「4ステップ」を踏めば良いことに気づく。ステップ1の分析では、自社の強みを活かせる市場機会を見つける。ステップ2の目標では、将来なりたい姿を描く。ステップ3の方法では、そこに至るまでの戦略(ロードマップ)を考える。ステップ4の実行では、立てた戦略を計画通り実行する。これで良いことがわかり、すぐ実行。目標を「日本一のリテール証券になること」とし、「投資上級者にアクティブ商品を提供する」との差別化集中戦略を立案して実行。4年間で経常利益を7倍(30→225億円)。個人株式売買シェアで業界トップを実現。「4ステップで取り組むと世の中も変えられるんだ!」と実感する。
(*)松井証券時代に作成した「経営戦略」の一部 (出所)松井証券「決算報告資料」
経営企画をしながら同時に広報とIR業務も兼務。広報では、プレスリリース作成の他、メディアの取材に年300件対応。当初は、コメントが全く記事にならずに挫折。その後、目標を「日本一露出が多い証券会社になること」とし、「出せる情報は全部こちらから出す」と方法を決める。そこで、自社のデータや競合・証券市場の業界動向、主義主張をまとめ、積極的に伝える「攻めの広報」を実施。記者との交流が深まり、メディアに受ける内容が感覚的に理解できるようになる。それにより新聞・雑誌・テレビなどでコメントが多数取り上げられるようになる。また、証券市場活性化などの政策提言を首相や財務大臣等に行うことで、メディアへの露出が増え、地名度の向上だけでなく、ブランドの向上にも貢献する。
(*)広報担当として、新聞・雑誌・テレビに多数出る
IRでは、上場後のIR体制を構築した他、投資家・アナリストの取材に年200件対応。当初は、戦略や独自性をうまく伝えられずに挫折。その後、目標を「日本一投資家から評価される証券会社になること(結果として株価を2倍にする)」とし、「成長戦略、IR資料、投資家説明のすべてのレベルを上げる」との方法を決める。そこで、市場の成長余力を数値化したり、競合との戦略比較、収益・シェア等のデータを盛り込んだ成長ストーリーを描き、資料を作成。数値で成長戦略を語れるようになる。熱く何度も語り、議論を繰り返したことで投資家の考えに精通。それに沿った資料へ修正しプレゼンを繰り返したことで徐々に投資家からの評価が高まる。また、海外ロードショーも年2回実施したことで外国人投資家の比率も上昇。4年間で株価を3倍(時価総額1200→3900億円)にし、後の日経225銘柄への採用に貢献する。
(*)IR担当として、プレゼン資料を何度も何度も書き直す (出所)松井証券「決算報告資料」
2004年広報IR担当部長に就任。経営企画、広報、IRのプレイヤーとしては場数を踏んだことで一定の実績を上げることができた。しかし、リーダーとしては強権的で厳しく怒りやすく、仕事を任せられないタイプだったため、うまく人を動かすことができずに挫折。リーダーシップを発揮できないことに悩み「いいリーダーになるには経営やリーダーの理論をきちんと勉強しないとダメだ」と会社を辞めMBAに行くことを決める。34歳で収入ゼロ、職業は学生となる。
(*)退職と同時に結婚。妻は会社を辞めずに働いていたため夫が寿退社をしたことに
2005年早稲田大学大学院(MBA)入学。妻が働き自分は無職で昼間からプラプラしていたため、周りから専業主夫に間違えられたり、ヒモ疑惑に悩まされて挫折。一年目にサーバントリーダー(周りに奉仕するリーダー)を知り「これが理想のリーダー像」と確信。また「幸せになると成功する」とのポジティブ心理学の考えにも共感。これまでの自分勝手な暴君的なスタイルと決別し「これからは周りを幸せにするリーダーになる!」と決意する。
(*)「サーバントリーダー」との出会いが転機に
MBA二年目から商品開発リーダーの研究を開始。100本超の海外文献の読み込みと10名のリーダーへの50時間に及ぶロングインタビューにより独自のリーダーの成功法則を確立、本を出版。MBA修了時にリーダー仲間とクリエイティブリーダーの会(CLIP)も設立(後にCLIPのメンバーで本を出版)。「絶対に幸せなリーダーのスタイルで世の中に新たな価値(新商品)を提供する!」と心に誓い、学生から社会人に戻る。(研究成果を本にしたのは、将来、先生になるために必要と考えたから)
(*)CLIPで本「アイデアは才能では生まれない」を共同出版
2007年MBA取得後、松井証券に復帰。事業開発部長となる。「自分でつくった理論通りにやれば絶対うまくいく」と自信満々で仕事に臨むものの全くできずに挫折。知っていることを思い通りに実践できないイラダチ、周りを幸せにしようと過度に配慮したり我慢したストレスから帯状疱疹になって戦線離脱。自宅療養の自分の姿がミジメで「このままではダメだ!何とかしなくては!」と本を読み漁るが解決策がない。「このままダメなリーダーで終わってしまうのか…」と絶望的な気持ちになる。
(*)自著「論理力より創造力」には至る所に線が引かれている
そのときピーター・ドラッカーの「未来を予測する最善の方法は自分で未来を創ること」との言葉に出会い、「これまでも自分は4ステップで将来のプランを描いて夢や未来を実現してきたじゃないか!」と気づく。それからは「答え探しはもうやめよう!自分の手で答え(未来)を創っていこう!」と決意。自分がなりたい理想のリーダーになるプランづくり(4ステップ)を開始する。
(*)ドラッカーの言葉が転機に
最初に自己分析をした結果、サーバントリーダーと商品開発リーダーを組み合わせたリーダーになりたいことがわかった。そこで、目標(理想のリーダー像)を「自分も周りも幸せにして社会に価値を提供できるリーダー」と設定。次にそれに必要な要素(スキル)を三つ抽出。一つはVision(ビジョン)で将来の絵を描きメンバーに熱く伝えていくこと。二つ目はEmotion(共感)でメンバーの考えや立場を尊重し共感すること。三つ目はCreation(創造)で他社のマネではない独自の価値を提供すること。三つの頭文字をとり「VECリーダー」を目指すとの目標を設定。あとは実践で練習しながらスキルを高める「実践学習」を行うとの方法を決めて実行を始める。
(*)2007年に作成した「リーダープラン」の一部
実践学習では一日の終わりに自分のすべての行動を記録することから開始。行動の中で、できた点、できなかった点を記録し分析する。できなかった点は「次はこうする」と対策を決めて頭の中でシミュレーション(練習)を繰り返す。そして練習したことを実践する。この「記録→分析→対策→練習→実践→記録」のサイクルをひたすら回す。5年間、毎日書き続けた結果、5000枚にのぼる膨大なリーダーの成功ノウハウがたまる。それにより実践できることが徐々に増える。
(*)日々の行動を記録し振り返る実践学習で5000枚のノウハウがたまる
目標に向かって無我夢中で取り組んでいると前向きで幸せになるもの。また、できることが増えると自分に自信が持て心に余裕が生まれる。すると周りがよく見えるようになり、自然にメンバーの良い行動をホメたり、困っている人の応援ができるようになる。応援をもらった人は幸せになり、やる気も高まり自発的に動き出す。するとチームとしての成果も徐々に出るようになった。理想としていたリーダーの姿がかすかに見え「幸せになると成功する。やっぱりこの順番だ!」との確信を持つ。
(*)幸せになると成功すると確信
並行してチームメンバー全員との個別面談を5年間、毎月実施。のべ500時間を超える面談(コーチング)により話を共感的に聞いて勇気づけて力を引き出すという独自のコミュニケーションスタイルを確立。メンバーとの信頼関係が強まり、更に意欲的に動き出す。また、社外のリーダー仲間との交流により貪欲にノウハウを蓄積。それにより日本初の商品開発に成功し特許を取得。その後も業界初となる商品を連発するチームづくりに成功、38歳で取締役に就任。「幸せと成功を両立させるリーダーとなる方法論」を確立。キャリアプラン通り30代で成果の出せるリーダーになる。
(*)2012年に松井証券の取締役としてテレビ出演
取締役就任後は、業界活動、本や雑誌の執筆、大学院での講義、講演など社外での活動が増え、これまでの自分の経験やノウハウを外部に伝える機会が多くなる。それまでは恥ずかしながら、自分や自社の成功や幸せしか考えてこなかった。でも、これらの活動を通して多くの方から感謝されることが増え、目線が一段上がる。それからは「自分と同じような悩みで苦しんでいる人たちをサポートしよう!これまでに蓄積した成功ノウハウをより多くの人に伝え、周りや世の中の幸せに貢献しよう!それが自分の使命」と感じるようになる。
(*)早稲田MBAや慶應義塾大学(SFC)で講義
2014年渡邊将志オフィス株式会社を創業、代表取締役就任(現職)。キャリアプラン通り40代で経営者となる。前職で身につけた経営ノウハウとMBAで学んだ経営理論をベースに上場企業を中心に経営戦略(中期経営計画)・IRのコンサルティングを開始。収益と株価アップの同時支援をワンストップで支援できることが強み。これまでに金融、IT、AI、広告、商社、電機、食品、物流、建設、不動産、人材など30社超の顧問実績がある。また、コーポレートガバナンス強化の流れもあり、上場企業の社外取締役も務め、これまでに2社(株式会社エプコ、株式会社ニチリョク)の実績がある。
(*)当社ホームページ
コンサルティング以外では、経営者や管理職向けに経営戦略・リーダーシップ・ロジカルシンキング等のMBA研修も実施。自分自身が苦労して身につけた「経営ノウハウ」を幅広く伝えることで、次代を担うリーダーの育成・支援にも取り組んでいる。上場企業の他、山口女性大学院や仙台市等の行政向けにも実施し、これまでに100回超の研修実績がある。
2023年法政大学大学院(MBA)兼任講師に就任。キャリアプラン通り50代で先生となる。「最高の経営ノウハウを創り、一人一社でも多くのビジョン実現を支援する」をミッションに活動を続けると共に、まずは100社の支援をするとの次の夢の実現に向けての挑戦も続けている。
ビジョン
MISSION (社会に果たすべき使命)
最高の経営ノウハウを創り、一人一社でも多くのビジョン実現を支援する。
VISION (実現したい世界)
誰もがビジョン実現に挑戦する夢と希望と笑顔に溢れた社会を創る。
VALUE (大切にする価値観)
挑戦:自己のビジョン実現に挑戦する(Challenge)
貢献:他者のビジョン実現に貢献する(Contribution)
創造:新たな価値を創造し社会に提供する(Creation)
趣味
・ラテンダンス(40代から開始、ラテンのノリとリズムが好きです。ディスコ系ダンスも好きです)
・ヨーロッパの田舎めぐり(30代から開始、夏休みに妻と二人で行くのが恒例行事です)
・温泉めぐり(20代から開始、少しぬるめの100%源泉掛け流しの温泉が好きです)
・城めぐり(10代から開始、籠城戦をシミュレーションしながら見学するのが好きです)
所属団体
・日本証券アナリスト協会検定会員
・東京三田倶楽部(慶応義塾塾員の会員制倶楽部)
・CLIP(早稲田MBA時代のクリエイティブ・リーダーの会)
リーダーインタビュー
・2015年8月より各界で活躍しているリーダーのインタビューを開始
・2017年7月までの2年間で55名の記事を掲載(現在は充電期間でお休みしています)
メディア掲載
<新聞掲載>
「日本経済新聞 2018年4月12日」
渡邊将志は金融・ITなど12社と契約するフリーランスとして経営支援を手がける
「日本経済新聞 2011年10月24日」
早稲田MBAの主な卒業生として15面掲載 ほか多数
<雑誌掲載>
「マネーポスト 2009年7月号」(小学館)p56掲載
「フィナンシャルジャパン 2008年8月号」(ナレッジフォア)p104掲載
「日経マネー 2004年10月号」(日経ホーム出版社)p27掲載
「週刊エコノミスト 2004年10月5日号」(毎日新聞社)p20掲載
「Yahoo Japan 2004年7月号」(ソフトバンクパブリッシング)p183掲載
「マネージャパン 2004年5月号」(SSコミュニケーションズ)p26掲載
「日経マネー 2003年11月号」(日経ホーム出版社)p31掲載
「週刊エコノミスト 2003年8月19日号」(毎日新聞社)p22掲載
「日経トレンディ 2003年5月号」(日経ホーム出版社)p66掲載
「日経マネー 2003年4月号」(日経ホーム出版社)p21掲載
「エコノミスト 2002年3月4日号」(毎日新聞社)p13掲載
「Gainar 2002年3月号」(光文社)p153掲載
「金融ビジネス 2002年2月号」(東洋経済新報社)p40掲載
「日経ビジネス 2001年9月10日号」(日経BP社)p140掲載
「キャリア転職マガジンtype 2001年4月3日号」(キャリアデザインセンター)p47掲載
<テレビ出演>
「東京マーケットワイド」(MXテレビ)2012年4月9日放送
「モーニングサテライト」(テレビ東京)2009年7月22日放送
「東京マーケットワイド」(MXテレビ)2008年7月17日放送
<WEB掲載>
「SFCスピリッツ」(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)2009年6月3日掲載
研究活動など
<修士論文>
「チームにおけるアイデア創出プロセスの探索的研究~クリエイティビティを高めるリーダーの役割~」
(早稲田大学大学院アジア太平洋研究科(MBA)、渡邊将志、2006年)
修士論文はこちらからご覧いただけます。
<大学院・大学での講義>
「生産性と創造性のマネジメント」(早稲田MBA:杉浦正和教授)2009年12月3日
「SFCキャリアセミナー」(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)2009年11月5日
「生産性と創造性のマネジメント」(早稲田MBA:杉浦正和教授)2009年1月15日
「アントレプレヌールシップ」(早稲田MBA:東出浩教教授)2007年1月24日
<ケーススタディ・研究への協力>
「オンライン証券業界にみる黎明期の企業間競争」(東京大学ものづくりセンター)2004年6月
「Transforming Matsui Securities」(Harvard Business School)2003年10月
「Online Securities Trading in Japan」(Harvard Business School)2003年10月
「ケーススタディ:松井証券」(一橋大学大学院国際企業戦略研究科)2003年3月
「ポーター賞受賞」(一橋大学大学院国際企業戦略研究科「ポーター賞」運営委員会)2001年12月
参考情報
ここからは私のキャリア情報をランダムにお伝えしていきます。長くなりますので、お時間のあるときにでも、お気軽にご一読ください。
<キャリアの原点>
私の子供の頃の夢は学校の先生になることでした。みんなでワイワイ盛り上がりながら学び、成長するというあの雰囲気が大好きで「大人になってからも学校に関わりたい」と思っていました。ただバブル経済を見て、華やかな金融の世界に魅力を感じ方向転換しましたが「いつかは学校の先生になる!」と決めていました。そのためMBAに行ったり、本を書いたり、講義をしたりと地道な活動を続けてきました。
ここでは小学校の卒業文集を掲載します。先生になりたい理由や先生への社交辞令など突っ込みどころ満載です(小学生ですから…)。ただキャリアの原点は間違いなくここにあります。
「ぼくの将来」 渡辺将志(6年2組)
ぼくが大人になったらなりたいのは小学校の先生です。なぜかというと休みがいっぱいあって、しかも夏目漱石が書いた「吾輩は猫である」の中にも「吾輩が人間に生まれていたら絶対教師になる」と書かれてある。このような事が主な理由です。
でも、ぼくは教師はすごく大変だと思います。最初に書いた休みがいっぱいあるということは、休みの間に旅行や読書など自分の好きな事が出来るからです。教師には大変な事がいっぱいありますが、特に大変なのは遠足の時です。いろいろ計画を立てたりしなくてはならないし、迷子になった人がいたら先生や学校側が責任をとらなければなりません。このように大変な仕事だからこそ、ぼくは何でもやってみたいのです。
しかし教師は大変な事ばかりではありません。例えば自分の好きな教科などの時です。この時は生徒に詳しく、楽しく、わかりやすく教えてあげれば、生徒はもちろん自分も楽しくなります。ぼくが一年から六年までにおそわった先生方は、みんないい先生でしたので、いい先生の良いところを見習ってぼくもりっぱな先生になりたいと思っています。
(大阪市立中津小学校 1983年卒業記念文集p38掲載)
<初めてのキャリアチェンジ>
私は30歳のときに初めて転職をしました。そのときは大手証券から黎明期にあったネット証券への転職でした。年収は半減、会社も無名のため周りからは大反対されました。ただ「30代でリーダーになる」との自分のキャリアプランを考えたとき「むしろ小さな会社で早くリーダーの経験を積みたい」と思っていたこと、そして何より「世の中を変える事業に参加したい」との思いから転職をしました。
そのときの気持ちが転職雑誌に掲載されていますので、ご紹介します。
「年収半減!それでも証券界革命を選択した!」渡邊将志氏(30歳)
大企業からベンチャー企業へと人材の流動化が加速する中、「年収が半減しても構わない」と果敢にベンチャー企業に飛び込んだ男がいる。ネット証券のトップ企業、松井証券に先月転職した経営企画部課長の渡邊将志氏だ。
実際、渡邊氏の年収はほぼ半減した。平成6年に慶應義塾大学総合政策学部を第一期生として卒業後、入社した日興証券での年収は「約1千万円、それに月々6万円の家賃補助があった」というから総額で1千万円を優に超えていた。しかし松井証券で約束されているのは月収29万円のみで、ボーナスは実績次第。仮に月収の7ヶ月分とすると約550万円となる。
(略)とはいえ年収半減はビジネスマンにとってはやはり痛手だ。一体何が渡邊氏を突き動かしたのだろうか?「一言でいえば松井社長に惚れたんです」と渡邊氏は事もなげに語る。「証券界に革命を起こすという理念を聞き、自分も参加したいと思った」のが転職の動機だという。経営企画部は松井社長直属の組織。経営戦略の立案が重要な任務となるが、何よりも「松井社長に直に接する機会が多く、同じ空気を吸えるのが魅力だ」と語る。
「今まで証券会社はかなりムリをしてきたと思います。手数料収入を稼ぐために、強引な営業をやってきたし、強引な営業の裏返しで損失補てんまでやってきた。これを本来の姿である顧客中心のより安価で、より便利なブローカー業務に徹する姿に戻す。それが松井証券の掲げる革命であり、挑戦なのです」
かつて「蟷螂の斧」と評された松井証券の挑戦も、着実に成果を出しつつある。株式の信用取引では株数ベースで昨年8月に業界一位を達成。「世の中を変えているんだというこの実感。これはお金の問題ではありませんよ」
(「キャリア転職マガジンtype 2001年4月3日号」(キャリアデザインセンター)p47掲載)
<キャリアの目標:理論と実践の融合>
私は「学業(アカデミック)」と「実業(ビジネス)」の両方に関われる人間になりたいと思っています。前述の通り、先生になることを夢見てきましたが、学校だけの世界では視野が狭くなりそうですし、いずれ学んだことを実践したくなるはずです。一方、ビジネスだけでは知識をうまく体系化できないので、この二つを両立させることが自分にとって望ましい生き方だと考えています。
母校の慶應義塾大学(SFC)に「理論と実践の融合」と題して寄稿しましたので、ご紹介します。
「理論と実践の融合」 渡邊将志 1994年総合政策学部
“Nothing is so practical as a good theory.”
「良い理論ほど実践的なものはない」これは、心理学者のクルト・レヴィンの言葉です。この言葉を初めて見たのは早稲田ビジネススクール(MBA)に行く少し前のことでした。それまで「理論」と「実践」は対極に位置すると考えていましたので「理論が実践的?なんか学者特有のレトリックで現実味に欠けるなぁ」との印象を持ったことを覚えています。
あれから4年経った今、改めてこの言葉を見ると「確かにその通り」と思います。なぜ、そう思うようになったのか、これからご紹介したいと思います。
実践で芽生えた思い
私は大学卒業後、日興証券で個人営業、NY支店、M&A業務を経験した後、松井証券という社員が100名ほどの小さなネット証券に転職しました。そこでは広報IRという新聞記者や投資家に会社の戦略を説明する仕事をしていました。年間300名ほどの人と会いますので、それなりに勉強になりましたが、常に付きまとっていた劣等感がありました。
それは「自分で新たな価値を生み出した経験がない」、もっと言えば「新しい企画やアイデアをどう考えたらよいかわからない」ということでした。そこで一度、キャリアを中断して大学院で新しいアイデアを生み出す方法論を研究してみようと思い、会社を退職して早稲田のビジネススクールに入学しました。
実践から理論へ
ビジネススクールでは修士論文を書くための研究期間が1年ほどありました。そこで、すかさず「新しいアイデアを生み出すための方法論(クリエイティビティ理論)」を自分なりに打ち立て、修了後、その理論を実践しようと思い研究に取り掛かりました。
研究プロセスとしては、まず先行研究を調べ過去の理論をベースにした仮説モデルを構築しました。その後、過去の理論にはない「新たな発見(something new)」がないかを探るため、新商品開発をしているクリエイター10名にインタビューをし「どのようにしてアイデアを出すのか?」その秘訣を探りました。そして過去の理論とインタビュー結果を組み合わせて、自分なりの「クリエイティビティ理論」を構築しました。
そこに至る過程ではインタビュー内容を録音したテープを耳にこびりつくまで何度も聞き返しましたので、最後の方はクリエイターの言葉を暗唱できるようになっていました。そのため、この理論を完成させたときには不思議と「自分でも新商品の開発ができるはず!」と根拠のない自信に満ち溢れていました(今から思えば恥ずかしい限りです)。
そこで、この理論を武器に再度、実務の世界で勝負をしようと思い、松井証券に戻り新商品開発を担当する部署に配属させてもらいました。ちなみに、この研究成果をまとめたものを本にしました。『論理力より創造力』(講談社出版サービスセンター)渡邊将志(著)アマゾン等でも購入できますので、ご興味があれば、ご一読ください。
理論から実践へ
いざ実務の立場に戻ると、さて困りました。新商品開発の「研究」はしていましたが「実践」は初めてです。ただアイデアを生み出す方法論は知っていましたので「ああでもない。こうでもない」と試行錯誤を繰り返した後、「夜間先物取引」という新サービスを思い付きました。
普通、新しいアイデアは「何もないところからポッと生まれてくるもの(無→有)」と思われがちですが、これまでの先行研究やクリエイターの発言から新しいアイデアというのは「組み合わせ」であることを学びました。具体的には、これまで結びつかなかった既存のモノが組み合わさることで新たな価値が生まれる、これが「クリエイティビティ(アイデアの創出)」なのだということです。
夜間先物取引についていえば「夜間取引」も「先物取引」も既に行われていた既存の取引です。しかし、この二つを組み合わせた「夜間先物取引」、つまり夜の時間帯の先物取引は、これまでほぼ行われていませんでした。理論を知っていたが故に、これまで結びつかなかった既存のモノを組み合わせることで「新たなアイデア」を生み出すことができたというわけです。
恐らくビジネススクール時代に「理論」を構築していなければ思いもつかなかったはずです。その意味では「良い理論ほど実践的なものはない」とのレヴィンの言葉を実証したともいえるかもしれません。昨年、TV番組に出演し、夜間先物の紹介をしました。その時の映像はこちらです。
理論と実践の融合
このように「実践→理論」「理論→実践」と移って今日に至っていますが、これからは「理論と実践の融合」をより一層図っていきたいと考えています。
その一貫として昨年、修論作成時にご協力いただいたクリエイターの方と「クリエイティビティ研究会(早稲田の公式な研究会)」を発足しました。名称は「CLIP(Creative Leader’s Interactive Project)」です。私も含めメンバーがビジネススクールの授業に講師として出席するなど理論と実践の橋渡し的な活動を既に始めています(いつかSFCでも、このような活動ができるといいのですが)。
また今は、先に構築した理論の有効性について実務を通して検証をしているところですが新たに発見したことを随時、盛り込んでいきたいと考えています(理論の補強)。また、それ以外にも実務で疑問に感じたことがあれば、それらをテーマに新たな研究に取り組み、理論化していきたいとも考えています。
このように、これからは「理論→実践→理論…」と理論と実践の間を行ったり来たりしながら、できることの範囲を増やしていき世の中に「新たな価値」を提供していきたいと考えています。
(「SFCスピリッツ」(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)2009年6月3日掲載)