for Grace株式会社
代表取締役 ランジェリーデザイナー
デザインと機能性を兼ね備えたオリジナルのランジェリーブランド「NAO LINGERIE(ナオランジェリー)」を展開するfor Grace株式会社を創業した栗原さん。肌に当たるカップ裏側にオーガニックコットンを使った肌に優しい生地、丁寧な縫製、ご自身で手掛けるデザインなどメードインジャパンにこだわったランジェリーで多くの女性ファンの心をつかんでいます。今回は、ご自身のキャリア、起業、そして将来の夢についてお話しいただきました。
バイトを転々とする試行錯誤の日々
私は、大学時代は政治学を専攻して外交官を目指していました。在学中に米国に留学して日米関係史を学び、「日本をもっと世界にアピールできる国にしたい!」との思いを強くしました。卒業後は外交官試験の勉強のため就職せずに外務省の非常勤公務員(アルバイト)として働き始めました。「いつかは世界を変えるような仕事をしたい!」そう思っていましたが、働く内に「外務省は現状維持が一番の目的なのかな?」と疑問を持つようになりました。議員が前例と違うことを言うたびに、それを取り消すことに躍起になっていたからです。
あるとき、職員の人に「外務省が何かを変えることってあるんですか?」と聞いたところ、「鋭い質問だね。でも、偉くなればなるほど、多くのしがらみがでてきて、決められることは何もないよ」とのこと。「そうなんだ!外務省で何かを変えることはできないんだ」と初めて知りました。性格的に、右向け右の世界は合わない。大志がないのに働くのも無理。外務省の仕事を辞めました。でも、これからどうすればいいか悩む。大学の友人たちは大企業に就職しているのに、自分だけがフリーター。劣等感の塊でした。そのとき、ある方から、「好きなことをやればいい」と言われて考えたところ、ランジェリーを思いつき、バイトを始めました。
ランジェリーのバイトは、矯正下着の販売で、フィッティングを担当。補正のため身体を締め上げる。機能はいいけれど、「これは着ていて苦しいな」と。それにデザインも良くない。気持ち良く売ることができませんでした。でも、欲しい人はいる。需要はある。「ビジネスの方法をしっかり考えて、将来自分でランジェリーをつくろう!」と思いました。でも、どうやってつくって、ブランドにして売ったらいいかわからない。「まずはマーケティングを学ぼう」と思い、別の働き口を探しました。
雑誌のフロムAが、未経験者でもOKのマーケティング担当者をアルバイト募集していたので、そこで働き始める。でも、折からの出版不況ですぐにクビになる。「自分は社会に必要とされていないのでは?」と落ち込みました。また、ある飲み会に行ったとき、建築専門のシンクタンクの社長と知り合い、雇ってくれました。一人暮らしをしていたため、職を選ぶ余地もありませんでした。そこで、リサーチや分析、報告書のまとめ、雑誌の編集を担当。でも、やっぱり建築は特別に好きなことではない。モチベーションが上がらない。「こんなことをしている場合じゃない」と辞めました。
また、別の仕事を探したところ、今度は日本の伝統工芸を世界に発信する会社を紹介されました。「今度こそ自分の方向性に合っている!」そう思って働き始めましたが、そこは生まれてすぐのベンチャー企業だったので、かなり厳しい職場でした。それでも歯を食いしばって仕事をしていましたが、あるとき、「マーケティングは学ばせてもらった。あと、学んでないのはファッションだけ」と思い、「ミラノにランジェリーデザインの勉強に行きます」と会社を辞めてイタリアに行きました。28歳のときのことです。
欧州のデザインと日本の機能を融合したランジェリー
ミラノでは、ファッションスクールのランジェリー科に入りました。でも、授業では何も教えてくれない。そのかわり、しきりに「あなたの頭の中にあるものをまず出しなさい」と言われました。「そうか、学ぶことじゃないんだ。答えは自分の中にあるんだ」それからは、色やデザインなどの基本的な技術を学びつつ、自分自身と格闘していました。デザインは学べたので、今度は生産から販売までの流れを知りたくなり、インターンをしようとフランスとイタリアのブランドに応募しました。
返事を待っているとき、いとこがオックスフォード大出身のインド人とイタリアで結婚式をあげることになり出席しました。そこで、新郎側の出席者からイギリスのブランドに勤めている人を紹介され、会いに行きましたが産休で会えず。そのことを伝えたところ、「あなたはブランドを立ち上げたいんでしょ?なんで遠回りするの?」と言われました。そのとき、腑に落ちました。「そうか、やりたいことがあるなら、すぐにやったらいいんだ。もう始めよう」そう決めて、すぐ帰国し、「NAO LINGERIE(ナオランジェリー)」という自社ブランドでランジェリーの製造販売をするfor Grace株式会社を立ち上げました。
ブランドのコンセプトは、ヨーロッパのデザイン性を活かしつつ、日本の機能性を取り入れ、かつ日本の文化に合うランジェリーです。ランジェリーは、日本では戦後からつくられました。機能はいいけど、西洋の服に合わせるため、針金を入れたり、かなり無理している部分があります。一方、ヨーロッパはデザインがいい。でも、薄いレース一枚で肌が透けて見える。それは、日本の文化や感性には合わない。それにヨーロッパでは、仕事が終わったら、一度自宅に帰ってドレスアップして出かける習慣があります。だから、仕事中は機能的なものを着て、自宅で高級なものに着替えることができる。でも、日本では仕事帰りにそのまま出かける。「デザインだけでなく、機能性も兼ね備えたランジェリーをつくろう!」そう決めました。
価格についても、自分なりのこだわりを持ってつけました。ヨーロッパの高級品は、3〜4万円くらい。日本の機能的なものは、7〜8千円。そこで、その中間の2万円にしました。これは、自称、ランジェリーおたくで、これまでに400着以上買いまくった私の経験から、適正と判断した結果です。ランジェリーは、高級から低価格のものまで、ほとんどのブランドのものを持っているので、値ごろ感は確かだと思って決めました。
起業後は財布に数十円しかなかったことも・・・
起業後は、まさにゼロからのスタートでした。まずは、自分がデザインしたランジェリーのコンセプトを資料にまとめ、生産してくれる工場探しから始めました。工場に片っ端から電話をかけまくりましたが、全く相手にされない。たとえ会ってくれても、「そんなの売れるわけがないよ」と馬鹿にされる。あるいは、「これはあり得ない」という法外な金額を要求されて足元を見られる。厳しい現実に直面しました。ただ、一つだけ、「ここまで具体的にブランドを考えているところは他にないよ。やってみよう!」と言ってくれ、生産のメドが立ちました。次は、「それをどのように売り出していくか?」です。
これには、一つ考えがありました。私は外交的な性格で、子供の頃から都心で遊んでいたり、友達も多くいました。学生時代に、それを事業家の兄に話したところ、「いくら多くいても、きちんと活用できなかったら人脈とは言わないんだぞ」と言われたんです。「悔しい!」負けず嫌いの性格なので、「起業したら、絶対に自分の人脈を活かそう!」と思っていました。そこで、初めての商品お披露目会には、友達に連絡して、たくさん来てもらいました。その様子が新聞に掲載もされました。また、伊勢丹や高島屋のバイヤーが興味を持ってくれ、両方でデビュー期間限定ショップを開催。それ以来、他の百貨店からも連絡が来るようになり、ビジネスを軌道にのせていくことができました。
今から思うと、準備から実際にお金が入ってくるまでにかなりの時間がかかりました。本当に恥ずかしいお話ですが、財布に何十円しかないときもあったほどです。それを乗り越えられたのは、卒業後ずっとバイトや仕事を転々とし、自分の居場所を見つけられなかったというコンプレックスが根本にあります。「もっとできるはずなのに、なんでこんな境遇なの?」とずっと思っていました。でも、「今度こそ自分の居場所、存在意義をみつけよう!」と必死に取り組んだ結果、つらい時期を耐えることができたのだと思います。
仕事をする上では、心や自然な状態であることを大切にしています。ビジネスをしていて、効率や利益のことを考えると、この二つから離れていく感じがします。「自分や周りの人の心をどれだけ大切にできるか?」「お客さんのことをどれだけ大切に考えられるか?」を意識しています。例えば、当社のランジェリーでは、内側の素材はオーガニックのコットンを使っています。正直、コスト的な負担は大きいです。でも、「こちらの想いや誠実さが伝わればいいな」と思って使っています。実際、ここまでやっているところは他にないので、お客さんからも、「着けていると心が温かくなります」と言ってくれます。
私は、お客さんには本当に恵まれていて、全員と友達になります。穏やかで、上品で、礼儀正しい方ばかり。そして、商品を丁寧に扱ってくれます。それに、来店された翌日には、「購入させていただいてありがとうございます」という御礼のメールがあったりします。本当は、こちらから先に出さないといけないんですが…。あと、「ずっと日本製のいいランジェリーを探していたんです。やっとみつけました!」そう言っていただけると本当に嬉しいです。実際に試着されると、ほとんどの方が衝撃を受けるんですよ。
日本製にこだわった独自のランジェリーブランド
23歳のときから、夢見ていることが三つあります。それは、「ランジェリーブランドをつくること」、「日本の文化を継承していくこと」、「子供の心のケアをする場所をつくること」この三つです。一つ目は、既に実現しました。そもそも、私がランジェリーに興味を持ったのは、中学生のときです。初めて下着を着けたとき、「めちゃめちゃキレイ!」と思ったのがきっかけです。あの年頃だと、おしゃれな服を着ても、「なんか垢抜けしないな」と感じていました。でも、下着はキレイと思った。それ以来、下着の虜になってしまったんです。当時は、それを職業にするとは思っていませんでしたが。
二つ目は、外交官を目指していた大学時代からの想いです。日本の文化や良さを世界に伝えたい。この気持ちは変わりません。ちなみに、当社のランジェリーは日本製にこだわっています。コットンの生地、縫製メーカー、そしてデザインも私がしているので、すべてメードインジャパンです。今秋には、京友禅に合うランジェリーもつくる予定です。日本の老舗旅館などに置いていただけたらと思っています。あと、香港やシンガポールなどのアジアへの展開も準備しています。海外の人にも、「日本にもかっこいいブランドがあるんだね」と言われるようなものをつくり、日本の良さを伝えていきたいと思っています。
三つ目は、実は子供の頃のつらい経験から来ています。私の実家は、長男さえいればいいという、古風な考えのところがあったんです。女の子だった私は、父方の家族からあまり尊重されず、母方の家に預けられていた時期もあります。愛を渇望する子供時代を過ごしました。小学4年の頃には、死を考えたりするなど精神的に不安定になり、自分の居場所を必死で探していました。今も、同じような悩みを持つ子供がたくさんいると思います。そんな子供達に、「生きてていいんだよ」「愛してくれる人がきっといるよ」そう伝えていきたいし、そんな風に感じられる場所をつくっていきたい。まだ、今のビジネスで精一杯ですが、将来的には子供たちのための仕事もやっていきたいと思っています。
中学生の頃、「ランジェリーとは自分の美しさを引き出すもの」と直感的に感じ、その美しい世界に魅了される。高校生になり、初めて自分で購入した、マリンブルー×青い花がほどこされたランジェリーがきっかけとなり、ランジェリーの官能的で甘美な世界観を楽しむようになる。
学習院大学を卒業後、下着の販売に携わる。下着ビジネスの理解が深まる中、ランジェリーマーケットのポテンシャルに興味を抱き、自身のブランドを立ち上げる事を思い描き始める。
自身の「美」に対する哲学に基づいたブランド作りを目指し、コンサルティング会社に転職。日本の産業・伝統工芸を世界に発信する業務を担当。市場調査、マーケティング、ブランディング、流通、プロモーション等に携わる。コンサルティング会社で出会った多くの日本の匠から「ものづくり」に対するこだわりやインスピレーションを得て、2012年、自分の描いたランジェリーデザインを作品として形にする。2013年、上海ファッションウィークにてデビュー。2016年5月、ブランド立ち上げ2周年を記念して「京都友禅 富宏染工」とのコラボレーションランジェリーを製作中。今後は、一般社団法人地域ブランディング協会主催のトークイベントに参加予定。デザイナーとして活動の幅を広げる。