株式会社アールアンドコー
代表取締役
ウェディングドレスのブランド「Ar.YUKIKO」を展開する株式会社アールアンドコーを創業した西村さん。経営だけでなくドレスのデザインも手掛けていて15年連続でウェディングドレス雑誌各誌の人気ランキングで1位の座をキープされています。また、ミスインターナショナル世界大会の日本代表で初めて優勝した吉松育美さんのドレスをデザインするなど多方面で活躍されています。今回は、ご自身のキャリアや起業、将来の夢などについてお話しいただきました。
入社2年目で営業職2,000人のトップになる
私は、大学生のときに父がいなくなり、女手ひとつで育てられました。母からは「自分で稼げる力をつけないと不自由になる」と言われてきたので、就職活動のときは「結婚や出産をしても働ける、一生働ける職場を探そう」と決めました。でも、当時は、まだ女性を総合職として採用する会社がほとんどない時代。そんな中、「産休や育休はありますか?」と質問をすると、ほとんどの会社で怪訝な顔をされ、落とされ続けました。このとき、「会社勤めでは一生働くことはできないのかな?」と、起業を意識するようになりました。
「将来、社長になる!」と思ったものの、具体的なアイデアはない。そんなとき、友人から「三井海上(現三井住友海上)で新卒女性の営業職を10名採用するらしいよ」と聞きました。これまで損保の営業職は男性のみ。女性の営業職は業界初とのこと。「社長になるには、おカネの流れを知っておいたほうがいい。売る力も必要。それに大企業で社会人としてのマナーを学んでおくのも悪くない」そう思って、応募したところ、採用が決まりました。
この女性営業職というプロジェクトは、いわば社運を賭けた取組み。会社側も気合が入っていました。入社後は、10名全員が1ヶ月間、ホテルに缶詰めで研修を受けました。内容は、外資の営業職のスキルを身につけるというもので、当時最先端のもの。恐らく男性の新卒の営業職では学べない内容でした。例えば、「お客様にノーと言わせないスキル」では、お客様がノーと考える理由を全部消していく。すると、必ずイエスとしか言わなくなる。そんなことを学び、ロールプレイングでひたすら練習をしました。ちなみに、この研修で学んだことは、起業した今でも役に立っていて、当社のウェディングドレスのオーダー成約率は80%で、業界平均(30%)を大きく上回っています。
この研修の効果は大きく、入社2年目には男性も含めた全営業職2,000人の中でトップの成績になりました。もちろん、研修だけで、この結果になったわけではありません。当時、損保は全社が同じ内容の商品だったため、差別化要因は営業担当者の手腕だけ。そこで、徹底的に自分自身を売り込むため、自分のチラシをつくる。また、車の修理会社と連携して、「事故を起こしたら、すぐに取りに行きます」と付加価値のサービスをつける。車のディーラーと連携して、社員割引を利用して新車を安く買えるようにする、といったことをしました。お客様のためになることを考え、実行した結果、トップになることができたのです。ちなみに、2位も同期の女性でした。これを見て、「営業は学べば身につくんだ」と実感しました。
ウェディングドレスをオーダーでつくるビジネスを開始
「3年で起業する」と決めていたので、丸3年働いた後、退職し、有限会社アリアを立ち上げました。当初は、保険の代理店をしていましたが、保険が好きで、この仕事に就いたわけでありません。それに、代理店のままでは保険会社を越えられない。「自分で製品をつくるメーカーになろう」と考えました。でも、どういうメーカーになるかのアイデアは全くありませんでした。
そんな中、結婚することになり、ウェディングドレスを見に行くことになりました。ただ、私は身長が171センチあるので、レンタル用の既製品のドレスでは合うものがなく、「オーダーしかない」とのこと。値段を聞くと、「1着100万円」と言うのです。ビックリしました。素材などを見ても、どう見ても高過ぎる。それに、あまりにもザックリした値付けに、「この分野はビジネスとして勝算あるかも。真面目にやればいける!」と思いました。
そこで、自分で同じようなドレスをつくってみました。すると、15万円でつくれたんです。これは、レンタルと同じくらいの価格。「レンタル用の価格で、ウェディングドレスをオーダーでつくるサービスを始めよう!」と決めました。それに、保険はお客様が大変なことに直面している場面で役立つ仕事ですが、「幸せの場面に立ち会いたい」そう思っていたことも決め手となりました。
ただ、安かろう悪かろうではうまくいかない。そこで、素材にはこだわることにしました。通常、レンタル業界のドレスは何度も使用するため強度の高いポリエステルを使用していましたが、当社ではシルクを使うことにしました。そして、それ以外の部分でコストを下げる工夫をしました。例えば、デザインは自分ですることにしました。それまでデザインの勉強をしたことはありませんでしたが、「今日からやります!」と宣言してデザイナーになりました。
また、原料のシルクの調達とドレスの生産は海外ですることにしました。そこで、中国、韓国、ベトナムやベルギーまで視察に行き、工場を見て、何度も交渉しました。その結果、中国で日本向けの製品をつくっている工場があり、その内の数台のミシンを当社用に割り当ててもらうことで合意できました。そして、準備期間10ヶ月で原宿にウェディングドレスのオーダーを手掛ける「Silk Wedding Ar.YUKIKO」をオープンしました。
上海工場での苦い経験
レンタルと違いオーダー用のビジネスでは、顧客の要望を徹底的に聞いていきます。すると、どんどん顧客ニーズが集まり、データベース化ができました。顧客が欲しい要素を盛り込んだものをつくると、当然ながら売れます。それに、自分に合ったものなので、ほとんどの顧客に喜んでもらえる。そこからの紹介も増える。マスコミにも取り上げてもらえる。開始して4年で西麻布に自社ビルを持てるまでに収益が拡大しました。そして、上海で自社工場もつくり、「これからビジネスを拡大していこう!」とした矢先に落とし穴が待っていました。
上海工場を任せていたパートナーが突然、夜逃げをしたのです。連絡をしても出てこない。現地を見に行ったところ建物だけでなく、原材料まですべて跡形もなくなくなっていました。人間、本当に大変なことに直面をした時は笑うんだなと、そのとき思いました。「あ、何もない!なんて自分って鈍感なんだろう。今まで気づかなかったなんて仕事があまりにも手抜きだったな」と。ただ、そのとき、顧客からのウェディングドレスのオーダーが100着ありました。お祝い事を台無しにするわけにはいかないので、「やるしかない!」とすぐに気持ちを切り替え、新たな工場探しを始めました。その結果、日本で2つ、上海で3つの工場と新たに契約し、5工場フル稼動で生産しました。その結果、1ヶ月で100着のドレスをすべて納品することができました。
ホッとするのも束の間。今度は、資金繰りに窮しました。原材料もすべてなくなっていたので、新たに買い入れをしたところ、2億5千万円の借金ができてしまいました。運転資金が底をつき、自分は無給で働く。銀行に融資を依頼しても、どこも貸してくれない。結局、友人を一人一人まわり、土下座をする思いで借りることで、なんとかしのぐことができました。ただ、事業自体は順調だったため、借金は半年ですべて返すことができました。
この経験から、「何事もあきらめないことが大事」と、つくづく思いました。「しがみついたらなんとかなる。みんな飛び降りちゃうからダメなんだ」と。頑張ってやり続ければ、どうにでもなることを、この経験から学びました。あと、こういうときに本当の友達がわかるとも思いました。困っているときに助けてくれた友達には感謝していますし、今度は自分が困っている人を助けす立場になろうとも思いました。
夢はいつか実現するもの
私は、読書が好きで、特に中谷彰宏さんの本が好きで300冊くらい持っています。1日に2冊くらいのペースで、年間600冊くらいビジネス書や自己啓発書を読んでいた時期もあります。その中でもお気に入りの著者でいらっしゃる中谷さんに「お会いしたい!」と思っていたら、ミスインターナショナルの仕事の依頼が来て、中谷さんも仕事でそちらに参加されていて、念願が叶い、お会いすることができました。今では、友達としてお付き合いさせていただいています。
本が好きだったので、「いつかはベストセラー作家になりたい!」と思っていたら、いつのまにか本を7冊出版し、累計で11万部を売り上げることができました。あと、先ほどのミスインターナショナルの関係では、2005年にジャパンオフィシャルデザイナーに選ばれたとき、「いつかは世界一になるお手伝いをしたい!」と考えていたら、2012年の世界大会で吉松育美さんのドレスをデザインしたところ、初めて日本代表が優勝しました。「こうなりたい!」と思っていたことが次々と実現していくので、夢はいつか実現するものと考えています。
今も、いろんな夢を持っています。ウェディングドレスとは別に、着物風のワンピースをつくることを始めました。着物は着ることが結構大変ですが、これなら手軽に着ることができます。ちなみに、このインタビューで着ているものです。「これを着て、2020年の東京オリンピックに来る海外の方をみんなでおもてなししたい!」と思っています。
また、「ヴィトンのバッグのデザインに採用をされるような日本を代表するアーティストになりたい」と思っています。日本人では、草間彌生さん、村上隆さんがデザインされていますが、「私もその中に加わりたい!」と密かに考えています。来年、銀座の画廊の方と一緒に絵の展覧会を開く予定です。内容は、「現代アート」と呼ばれるもので、人がやっていない方法で美を追求するというものです。具体的なことは、まだお話しできませんが、今から楽しみにしています。このように、一見無謀なことに思えるようなことも、躊躇することなくチャレンジするアホな一面も起業家には必要なのかなと思いながら、日々を過ごしています。
1969年生まれ。
株式会社アールアンドコー代表取締役。
有名芸能人や各界オピニオンリーダーを数多くプロデュースする。
ウエディングドレスブランドAr.YUKIKOデザイナー。
アパレルブランド Allison Stewart デザイナー
國學院大學文学部史学科卒業。三井海上火災保険株式会社本店に勤務も、女性のために役立つ仕事を志して25歳で独立。15年連続でウェディングドレス雑誌各誌の人気ランキング1位を維持。2005年よりミスインターナショナルではジャパンオフィシャルデザイナーに選出され11年連続で製作。2012年の同大会においては、日本代表の吉松育美さんのドレスをデザインし、日本代表を世界一位の座に輝かせた史上初の立役者としてさらに注目を浴びているデザイナー。2015年ミス・アース世界大会にて、日本代表永田玲奈さんのすべての衣装の製作を担当。2016年ミス・アース世界大会にて、山田彩乃さんの衣裳を製作し、ウィーンにて大好評を博す。2015年女性向け新アパレルブランドAllison Stewart(アリソン・スチュワート)を発表。