フェニックスイングリッシュスクール
代表
子ども向けのプリスクールを運営する「フェニックスイングリッシュスクール」を立ち上げた野田さん。福島県の郡山からスタートし、宇都宮、恵比寿にも開校するなど子ども向けの英語教育を広める活動に積極的に取り組まれています。今回は、震災時のこと、国際学会で得たこと、将来の夢などをお聞きしました。
スクールを続けることが私にできる復興支援
私は高校生のとき、米国のシカゴに留学しました。卒業後は帰国して日本の大学に入りましたが、「英語に関わっていたい」と在学中に英会語スクールでアルバイトをしていました。そんなこともあり、大学卒業後も3年ほど子ども向けの英会話スクールで働いていました。働いている内に、「自分がやりたいようにやってみたい」との思いが出てきたので、そのことを異業種ではありますが、経営者である父に話しました。
すると、「人に雇われていないで、自分でやってみたら」とあっさり言われたのです。幸い郡山にある自宅の敷地に使われていない倉庫があったので、それを改修して教室にすれば、投資額を最小限に抑えてスクールを始められる。それくらいの額なら自分でも出せる。そう思って、あまり深く考えずに子ども向けの英会話スクールを27歳のときに始めました。
当初は、まだ物珍しいスクールだったこともあり、生徒集めは大変でした。ただ、徐々にクチコミで集まるようになり、順調に生徒数を伸ばしていくことができました。「このペースでスクールを続けていけるかも」と思っていた矢先、東日本大震災が起こりました。
それから状況が一変しました。街から人が全くいなくなったのです。まさに映画を見ているような光景でした。それに合わせて生徒が他県に転校していきます。震災後しばらくは毎日のように「転校します」との連絡が入ってきました。その間、スクールは休校していましたので、やることがありません。
生徒が離れていくたびに、「もうダメだ」「他の仕事を考えた方がいいのかも」と考えるようになりました。普段は楽観的で、あまり落ち込むことはないのですが、このときばかりはさすがにつらかったです。ただ、生徒も半分くらいは郡山に残る。外国人の先生方も何人かは郡山に残ってくれている。「私にできることは何だろう?」と考えたとき、「スクールを続けることが私にできる復興支援」との結論に至りました。
そして、「この子達は、福島という肩書きを背負ってこれから生きていく。でも、そんな彼らには、英語で世界に福島の復興を発信できるようになって欲しい。そのためにスクールを続けよう」そう思って震災の一ヶ月後にスクールを再開しました。再開した日、子どもたちがマスクや帽子をかぶりながらスクールに来てくれた光景は今でも忘れられません。
その後、宇都宮に引っ越した生徒の親から、「英語を使っていないと忘れていくので、宇都宮でスクールを始めてくれないか?」との依頼が来ました。郡山と宇都宮は新幹線で一駅なので頑張れば通える。それに、宇都宮の方がマーケットは大きいのに他に同じようなスクールがない。それなら私がやろう。そう思って、震災の半年後に宇都宮校をプレオープンしました。そして、昨年、恵比寿にもスクールを開校し、現在は3校のスクールを運営しています。
国際学会で世界中の保育関係者と知り合う
子ども向けのスクールを運営していく中で、英語だけではなく、保育の知識も持っていないと本当に満足していただけるサービスは提供できないと思い、保育士の資格を取得しました。また、母子関係についても勉強する必要性を感じたので、早稲田大学人間科学学術大学院の発達行動学研究室に2年間通い、修士号も取りました。
そして、もっと保育のことを学びたいと思い、修了後にイタリアのレッジョ・エミリアで開かれる国際学会に出席しました。この学会は、どちらかというと、アカデミックなものというより現場に近い内容を扱います。そこで世界中の保育関係者と知り合い、いろいろなメソッドを教えてもらいました。
例えば、外国でも最近、子どもが外で遊ばなくなっている傾向があるそうですが、ドイツの森の保育園というところでは、免疫をつけさせるために雨でも森で遊ばせることをしています。それを聞いて、私たちのスクールでもなるべく近くの公園で遊ばせる時間をとるようにしています。
また、モンスターペアレンツは海外にもいるそうで、みなさん対処に苦慮されていると話していました。このようなことを含め、お互いに情報交換できたことも大きかったです。ちなみに海外にはモンスターペアレンツを表す言葉がなく、「日本ではこの言葉を使っている」と話したら、「それいいね」と言われました。
あと、私は趣味が旅行なので、その時に知り合った人たちの国を毎年訪ねています。これまでに、イギリス・ブリストル、エクアドル・キト、スウェーデン・ストックホルム、ドイツ・ストゥトゥガルト、ベトナム・ハノイ、アメリカの多くの州などに行きました。街を直接見ると、その国々の文化や雰囲気がわかり、それに合った保育をしていることを知ることができ、とても勉強になります。趣味と息抜きを兼ねて、これからも世界各国を飛び回りたいと思っています。
生徒が世界で羽ばたく姿を見るのが夢
私は、震災のときに「あー、スクールは終わった」と思いました。ただ、その後、郡山校を再オープンしたり、宇都宮校を開いたりする内に、「思ったことはやらないとチャンスを逃がす」と考えるようになりました。そして、「どうせやるなら楽しくやりたい」そう思って仕事に取り組んでいます。
これまでにスクールを3校開いていますが、全国規模でチェーン展開をするつもりはありません。生徒一人一人の顔と名前をすべてわかるようにしておきたいので、その範囲内にとどめる予定です。また、私たちのスクールには、家に遊びに来てもらう感覚で気軽に来ていただきたいので、ビルの中ではなく、一軒家にこだわった教室づくりをしています。
スクールを始めた頃は、「ここで学んだ子どもたちが大人になったとき一緒にお酒を飲みたい」「お酒を飲みながら小さい頃の昔話をしたい」そう思っていました。先日、はじめに通っていた生徒達がようやく20歳を迎えたので、一緒に飲むことができ当初の夢が叶いました。
今は、子どもたちが社会に出て英語を使って世界で活躍している姿を見ることに夢が変わりました。中には、外交官や国境なき医師団を目指している生徒もいます。一人でも多くの生徒が世界に羽ばたいていって欲しいと思っています。そして、海外の赴任先などで会って一緒にお酒を飲みたい。そんなことを夢見ながら子どもたちと日々を過ごしています。
アメリカ、イリノイ州の高校卒業後、フェリス女子学院大学文学部英文科を卒業。インターナショナルスクールのプリスクールでの勤務経験を活かし、2001年4月に福島県郡山市にフェニックスイングリッシュスクールを開校する。第二言語として英語を教授できる資格「TESOL」と保育士の免許を保有。早稲田大学人間科学学術大学院発達行動学研究室にて母子関係を中心とした研究に携わり、2011年に修士号を取得。同年11月に宇都宮校を開校。2015年に恵比寿校を開校。