ストリートアカデミー株式会社
代表取締役CEO
自分が持つ知識やスキルを教えたい人とそれらを学びたい人のマッチング事業を運営するストリートアカデミー株式会社を創業した藤本さん。開始から僅か3年で公開講座数4,000件、累計受講者数33,000人を超えるなど順調にビジネスを拡大させています。また、今年から法人向けのビジネスにも参入するなど新たな展開も進めています。今回は、キャリアの変遷やMBA、起業のことについてお聞きしました。
やりたいことを求めてキャリアを旅する
私は商社に勤めていた父親の仕事の関係で中学、高校、大学時代を米国で過ごしました。コーネル大学では機械航空工学を専攻していたので、ITからは遠く、周りの学生は軍需、自動車でのエンジニア職か、金融業界へと就職していきました。私はおカネに直結するいわゆるビジネスには興味がなく、「自己表現ができて社会的に意義のあることをしたい」と思っていたので、それができそうな仕事を探していました。
当時、米国のユニバーサルスタジオが日本で初めてテーマパーク(USJ)をつくるプロジェクトを進めていたことを知り、「子供に夢を与える体験をつくるというのは面白い」と思い就職しました。ただ、私を採用してくれた上司がクビになると、その関係で私のポジションも切られてしまい、新卒1年目にして会社を辞める羽目になるという、米国の競争社会の現実を身をもって体験しました。
その後のキャリア進路で途方にくれていたところ、たまたまユニバーサル勤務時のカフェテリアでスピルバーグが隣の席で普通に打ち合わせしているテーブルに遭遇したことで触発され、映画監督を志します。もともと映画が大好きだったこともあり、「自分でも何かを表現をしたい」という想いと相まって、映画学校に入学しました。しかし実習で8ミリで短編映画を作ると、自分の才能の無さにがっかりし、夢をあきらめ、頭を使う母校の工学部に戻り、オペレーションズ・リサーチ(OR)で修士を取ることにしました。
ORは、もともと軍の兵站を効率的にすることを目的にした学問ですが、特に物流業界でビジネスへの応用がはかられていました。その関係でフェデックスに就職していた先輩のつてをたどり、12年ぶりに日本に帰国し、フェデックスの日本支社でオペレーションエンジニアとして働くことになりました。
自社で保有している飛行機のフライトネットワークや配送網を分析・企画するような役割でしたが、当時採用してくれたマネージャーが作り上げた、米国のOR学科を卒業した優秀な若手を集めて結成したスターエンジニアチームに入ることができて、やりがいがあり、大企業で活躍できる貴重な経験を積むことができました。でも、自分としては大企業で物流エンジニアをやる以外の世界も見てみたいという強い思いがあり、当時「最強の頭脳集団」と呼ばれていたとある経営コンサルティングファームの面接を受けに行きました。
ところが、面接では「君は年齢が中途半端なんだよね。26歳だと下っ端のアナリストの仕事から始めるのも嫌だろうし、かと言ってアソシエイトで採用するにはまだ経験と箔がないんだよね。ハーバードMBAを持っているとか、PhDを持っているとかさ」というようなニュアンスで落とされてしまいました。面接の帰り、当時婚約中だった妻に「すごい良い会社だと思ったのに、MBAを持っていないとダメなんて、学歴差別だ」と愚痴ったところ、「私にはそれを持っていたら入れてくれるって言ってるように聞こえるんだけど。本当に入りたいんだったらそのMBAとやらを取りにいったらいいんじゃない」と言われ、2つめの修士になるMBAに対して興味を持つようになりました。
それから、いろいろな学校のウェブサイトを調べたところ、スタンフォードのサイトにあった「Change lives. Change organizations. Change the world.」のメッセージを見て、純粋に「こんな生き方があるのか、カッコイイな」と思いました。また、ビジネスはお金を儲けるためではなく、世の中を変える手段であるという考えにも開眼し、即受験を決意しました。まさか受かるとは思っても見ませんでしたが。
スタンフォードMBAでリーダーシップの真髄を学ぶ
スタンフォードのMBAでは二つのことを学びました。一つは、リーダーシップのあり方です。スタンフォードには世界から超がつくほどの優秀な学生が集まってきます。彼らの多くは勉強だけでなく、ボランティア活動、キャリア勉強会、ワイナリー巡りやスキー、サーフィンなどのアクティビティなどと、いろいろな活動に精力的に取り組んでいました。特に驚いたのは、自分のことだけでなく他の人を助けることも惜しまずにやっていたことです。
例えば、授業だけでは理解できない人達がいたら、彼らのために別に時間を取って講習会を開いてあげる。就職活動で決まっていない人がいたら、「じゃあ、あの会社の誰々を紹介するよ」と紹介をしまくる。活動の内、60%くらいは他の人を助けるために使っている感じでした。彼らは優秀であるが故に自分のタスクは効率的にこなし、いつも時間に余裕を作り、その時間で人を助けることをしていました。それにより、周りから尊敬や信頼を集め、さらに成功する。これが真のリーダーシップのあり方だと思い知らされました。
また、スタンフォード時代に、あのスティーブ・ジョブズの伝説のスピーチを生で聴く機会に恵まれました。それ以外にもナイキやシスコシステムズの創業者など名だたる経営者が授業にふらっとやってきて講義をする。そんなことも普通にありました。そこでは、「君たちはこれだけの教育を受けてきたのだから他の人に価値を与えるのは当たり前のことなんだよ。社会も君たちが何かをすることを求めているのだから」ということを言われます。
近くにシリコンバレーもありますし、こういう環境にいると「起業は当たり前」と思えるようになります。私自身、世の中にインパクトを与えることをしたいと思っていたので、このような考えに共感できました。「起業したい」とも思いましたが、自分のキャリアを振り返ったとき、現実問題として物流企業でのエンジニアとしてしか経験がなく、マーケティングや会計、組織を動かすことなども未経験。更にMBA留学でできた巨額の借金を返済するまでは起業など自分の身の丈を超えていると考え、「まずビジネスの経験を積もう」と投資会社のカーライルグループに入ることにしました。
そこでは5年間いろいろな投資案件に携わり、優秀な方と社会的意義の高いお仕事をさせていただく機会に恵まれましたが、心の中で静かに温めていた起業熱は冷めることなく、「いつかは自分も」と思いながら過ごしました。2011年の秋にスティーブ・ジョブズが亡くなったことが一つの背中を押すきっかけとなり、「もうビジネスの経験は十分に積めた。今起業しないとずっとできないぞ」と思うようになりました。スタンフォードの風が吹いてきたのです。起業への想いが日増しに強くなってきたので、家族に「やっぱり自分で起業したい」と言いました。
最初は妻から「待った」がかかりました。本当に人生をかけてやりたいことが見つかったら許すけど、ただ漠然と「何か自分でやってみたいから」だけで仕事を辞めるのはいかがなものかと。もっともな意見なので、それから私は毎日自分が本当にやりたい事業がないか探しました。様々なビジネスアイデアを、「自分がやりたいか」「自分がやったら勝てるか」「自分に向いているか」などの軸で検討しました。
あるとき米国で現在の当社のビジネスモデルと同じようなことをやっているベンチャーが出てきたのを何かのニュースで読み、それを見たとき「これだ!これは自分がやりたいし、やる意義がある」と確信しました。そこで、1年以内に「チームをつくる」「サービスがローンチしている」「外部出資を受けている」ことの3点を実現しなければ、また会社員に戻ることを条件に家族を説得して、起業に踏み切りました。
ビジネスモデルではなくビジョンを語る
2012年7月、「教えると学ぶをつなぐスキル共有サイト」を開発・運営するためにストリートアカデミー株式会社を創業しました。日本人は学ぶことが好きですが、スクールに行くのは入学金や授業料が高かったりして意外とハードルが高い。また、先生になるにも資格が必要であったり学校に所属しないと教えられないなどそちらも難しいと思っている人が多い。そこで、この二つの壁を取り払い、誰もが手軽に先生として教えられ、学ぶ側も気軽に学習ができる場があればと思い、両者を直接マッチングするサイトをつくることにしました。
ただ、35歳でいきなり一人で起業したので、当初は全くチームメイトがいませんでした。WEBサイトをつくるためにネットで技術系の大学生を募集したり自分でもプログラミングを学んだりして、サイト自体は4ヶ月ほどで完成させることができました。これで一つ目のサービスリリースまではなんとかこぎつけたのですが、リリース後、集めた学生達は誰もチームメンバーとしてはジョインしてくれませんでした。元々興味本位や技術習得の目的でサイトづくりを手伝ってくれた学生には、起業自体にコミットするということに対してイメージが湧かなかったようでした。
私は、MBAホールダーでありながら、起業当時、人を巻き込んでいくためのマネジメントやリーダーシップを発揮することには全く長けていませんでした。それまでの会社員生活では、自分は常に参謀的な立ち位置で意思決定者に助言することが多く、自ら人を巻き込んで物事を動かす経験はほとんどなかったのです。ですから最初の頃は、「これくらいの市場規模に対してこういったモデルでやると成長余地があるから・・・」というようにロジック詰めで話を組み立てて人が口説けると思っていました。
でも、やっていくうちに、ベンチャーにジョインするか、夢を共有できるかというような判断に対しては、人は論理では動かないことがわかってきました。それよりもワクワクするような夢や触発できるだけの想いといった、感性や感情に訴えかけるパッションを表現できないと、人を引き寄せることはできないことを痛感させられました。それ以来、「自分がなぜこのビジネスをやりたいのか?」「どういう世界をつくりたいのか?」といった世界観をひたすら発信するようにしてきました。
それにより、この想いに共感してくれる人がメンバーになってくれ、チームをつくることができました。それを愚直に何度も何度も繰り返していきました。その結果、ベンチャーキャピタルから資金を集めることもでき、ユーザーや講師も集まるようになり、家族に約束した3つの条件をクリアすることができたのです。
ちなみに、ストリートアカデミーでは、「身近な人から気軽に学べる社会を創る」ことをミッションに掲げています。そして、「学びを自由に、当たり前に」をビジョンに、個人・法人向けに自由で新しい形の学びの場を提供しています。ビジネス・ITスキルからフィットネスや趣味の分野まで、みんなが互いに持っているスキルを共有し合うことで、個人にとっての学びの選択肢を広げる教育のシェアリングエコノミーの創造を目指しています。
気軽に学べて人生の選択肢を増やせる世界へ
起業当初は、周りから「スタンフォードを出たくらいだから、グローバルな人脈を使って派手に起業するんでしょ」というよう目で見られていました。でも、実際やっていたことは手弁当で地道に一件一件ユーザーや講師を集めることでした。大学院のブランドと現実のギャップに苦しみましたし、変なプレッシャーもありました。
当時は物事が上手くいかないときは自分の感情をそのまま表に出したりして周囲を不安にさせたりということもありました。しかし、リーダーになると自分を頼みについてきてくれた仲間ができます。リーダー自身が落ち込んでいると負のオーラが伝わり、周りも不安になってしまうのでそこは気にするようになりました。心掛けていることは、「always stay positive(常にポジティブであれ)」です。
また、人との出会いやご縁も大切にしています。自分が何かを判断するときは、「この人と一緒に仕事をしたいか?」ということに軸を置いています。これまでの経験から「人が導いてくれる」との価値観を持っているからです。その意味でも、起業家で少し先を走っている先輩や自分に何かをもたらしてくれる人には積極的に会いに行き、話を聞くようにしています。あと、起業家仲間との横のつながりも大事にしています。ここでは、「採用どうしているの?」とか気軽に相談できたり、悩んでいるときに「大丈夫?」と励ましてくれるので、とても助かっています。
江戸時代に寺子屋が全盛期だった頃、日本の識字率は世界一だったと言われています。気軽に教えたり、学べる場が増えると、知識やスキルを身に付ける人が増えていきます。すると、「自分にはこういったこともできるかも」と人生の選択肢が増えるはずです。それは、ある意味、人間として自由になることであると言えるかもしれません。
日本には、新しいことへの挑戦に躊躇する人が多いように思います。それは、挑戦する人を応援する文化がなかったり、そもそも変化に対する風当たりが強いといったことに起因しているのかもしれません。そのことが学習の選択肢を狭めているのかなと思ったりしています。
私は、学びを自由にすると人生自体も自由になる人が増えると考えています。やってみたい仕事があれば、60歳の定年を迎える前に新しいことを学び、身に付け、トライする。「一歩踏み出しちゃいました」「好きな仕事に挑戦しちゃいました」そういう人が当たり前の世の中になる。私たちのサービスを通じて、このような世界を実現できたらと考えながら仕事に取り組んでいます。
ユニバーサルスタジオにて機械設計エンジニア、国際輸送FedExにてオペレーション企画に従事した後、投資ファンドのカーライルグループにて企業買収に携わる。2012年に退職し「まなびを自由に!」をビジョンに、教えると学ぶをつなぐスキル共有サイト「ストリートアカデミー」を創業。幼少の頃より親の都合で渡米を繰り返し、中学・高校・大学をアメリカで卒業。コーネル大学機械工学科、スタンフォードMBA。