リーダー語録:田子みどりさん1

2016.07.09 (土)

女性が働ける場がない現実に愕然とする

 

私は、山口県の萩で生まれました。萩は幕末に吉田松陰を輩出したところでもあり、子供の頃から独特な教育を受けて育ちました。特に明倫小学校では、松陰先生の言葉をまとめた「松陰読本」を副読本にして、毎朝起立して松陰先生の言葉を詠唱します。松陰先生至誠の精神や志を持つことの大切さを学びました。

 

ただ、せっかく教育を受けても、萩では女性が働ける場があまりなかったんです。母は教師、父も公務員でしたので、公務員として働くことはわかる。でも、それ以外の職で女性の働き方が見えませんでした。「私に何ができるんだろう?どんな可能性があるんだろう?」ということがわからず、それが不満でした。「東京に行ったら何かがあるかもしれない」そう思って親の反対を押し切り期待に背いて上京し、早稲田大学に入学しました。

 

「早稲田に行けば、女性でもマスコミなどへの道が開けるかな?」と淡い期待をしていましたが、そんな簡単な道はありませんでした。当時はまだ雇用機会均等法が成立する前のこと。男子学生は有名企業からリクルートが大量に来ますが、女性には全く来ない。ただ、当時は女子大生ブームが来ていて、地位は高まっていましたで、。アルバイトでは男性よりも時給が高かったくらいです。でも、就職に関しては全く相手にされませんでした。

 

男性と女性でここまで大きなギャップがあることに愕然とし、「自分のアイデンティティって何なんだろう?」と悶々とした日々を過ごしていました。でも、「何かあるんじゃないか?」と可能性の模索を続けていたとき、文章を書くのは好きだったので、企画会社でイベントなどの企画書を書くアルバイトを始めました。そこであることに気づきました。「科学技術がどんどん発展しているのに、そういう理系の難しい話をわかりやすく伝える人がいない」と。そこで、女子学生たちとチームをつくって、「科学技術をわかりやすく伝える」ことをテーマに活動を始めました。

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