Leaders1000 リーダーが語るの人生の軌跡

vol.047 横山周史さん

2016/09/23 (金)
このエントリーをはてなブックマークに追加

横山周史さん

株式会社リプロセル
代表取締役社長

iPS細胞技術を中核として、研究試薬、創薬支援、臨床検査などの分野で事業を展開している株式会社リプロセルの社長を務める横山さん。大学院で博士号を取得後、バイオベンチャーの創業に関わり、世界で初めてヒトiPS細胞を用いた創薬支援事業を開始するなど、iPS細胞ビジネスの先駆者としての役割を果たされてきました。今回は、ご自身のキャリア、会社の事業展開などについてお話しいただきました。

博士号からバイオベンチャーの社長へ

私は、化学の分野で博士号を取得しました。ただ、大学で教授を目指すことには全く興味がなかったんです。研究だけでは所詮、ペーパーの世界で面白くない。実験ではなく、実際にモノをつくってみたい。そう思って大学に残ることをやめ、就職活動をするこにしました。ただ、ちょうど就活の時期に米国に短期留学をしていて、帰国したときには既に新卒採用はどの会社も終了していました。完全に時機を逸しました。「どうしたものか?」と途方に暮れていたところ、マッキンゼーが通年採用していることを知り、試しに受けたところ採用が決まり、入社することにしました。

当時は、まだ終身雇用が当たり前の時代。永久就職のつもりで入ったところ、どうも事情が違う。毎月2~3人が辞めては、新しく入ってくる。よくよく聞いてみると、マッキンゼーの人たちは長くても10年くらいしか勤めないとのこと。「自分のキャリアは自分で考えないといけない」と入社してから気づきました。そのとき、「例えば5年ここで働くと32歳。その歳で初めて事業会社に入るのはどう考えてもきつい」その後のキャリアのことを考えて、「早めに事業会社に移っておこう」と思い、2年ほどでマッキンゼーを辞め、スリーエムに転職しました。

スリーエムはポストイットをはじめ新商品を数多く開発することで有名な会社。私も、新規ビジネスを立ち上げるためのプロジェクトマネージャーとして働くことになりました。結局、ここで7年ほど過ごしましたが、次第に「単一のプロジェクトだけでなく、経営全般を見る立場で仕事をしたい」と思うようになりました。そんなとき、人材紹介会社の人から「リプロセルという会社が経営者を探している」との話がありました。「面白そうだな、人の役に立ちそうな仕事だな」と単純に思って転職し、同社の社長に就任しました。36歳のときです。

%e6%a8%aa%e5%b1%b1%e3%81%95%e3%82%93%ef%bc%91

株式会社リプロセルは、日本で初めてヒトES細胞が樹立された2003年に、その樹立に成功した京都大学再生医科学研究所・所長(当時)の中辻憲夫教授と東京大学医科学研究所の中内啓光教授の技術シーズを基盤として設立されたバイオテクノロジー企業です。これまで、キャリアのことをよく考えずにフラフラしてきました。ただ、今から振り返ってみると、大学院での研究のバックグラウンド、マッキンゼーでの経営コンサルティング、スリーエムでの新規事業の立ち上げの経験を組み合わせることができる。その点では遠回りをしたようで必要な経験を積んで、ここまで来たのかなと思います。

リプロセルでは、ゼロからのスタートというより、マイナスからのスタートでした。色々と立て直すことから始めなければいけませんでした。会社が設立された当時は、まだiPS細胞がなく、ES細胞しかありません。注目度も低かったんです。当初の7~8年は苦労の連続で、気持ちが楽になることはありませんでした。「いつ潰れるんだろう?」と綱渡りの日々が続きました。

転機となったのは、2007年に京都大学の山中伸弥教授により初めてヒトiPS細胞が樹立されたこと。これにより、商品として扱える「モノ」ができた。また、2012年に山中教授がノーベル賞を受賞されたことで、再生医療という「市場」ができた。当社の「事業」も立ち上がってきた。それにより、2013年にJASDAQ市場に株式を上場させることができました。ただ、バイオ事業は国内だけでなく、グローバルで戦わないといけないビジネスです。上場後、立て続けに米国企業2社、英国企業2社を買収し、日米欧の3拠点体制を確立しました。これからは一気にグローバル化を加速させたいと思っています。

%e3%83%aa%e3%83%97%e3%83%ad%e3%82%bb%e3%83%abhp

30社周っても資金調達できずに苦しんだ日々

当社のビジネスで苦しかった時期は、2006年から2012年頃までの6年間です。2005年頃に、いわゆる「バイオブーム」があり、バイオ系のベンチャー企業がたくさん設立されました。ただ、ブームが終わると長く氷河期が続きます。バイオビジネスは、ITと違って、時間もお金もかかる「実験」をしなければなりません。どうしても投資先行、赤字先行になります。多くの企業が黒字化するまでもたずに潰れていきました。

2004年頃、ES細胞を利用した世界的なバイオベンチャー企業が世界で勃興してきました。でも、その後、全部潰れました。理由は、どの会社も「研究」をやろうとしていたから。確かに、バイオビジネスは、一発当てると多額の収益を手に入れるチャンスがあります。そこで、資金の出し手であるベンチャーキャピタル(VC)は、「再生医療のような夢のある大きなビジネスに打って出たら?」と勧めてきます。でも、当時は、「まだ機が熟していない」とその分野には敢えて手を出しませんでした。そうではなく、試薬や創薬向けの技術提供をするなど、資金繰りを考えて地道に収益を上げるビジネスをしていました。当社は「研究」ではなく、「ビジネス」をやろうと決めていたからです。

案の定、VCにはあまり受けませんでした。「副業をやっていても仕方ないでしょ。」などと言ってきます。でも、方針は変えませんでした。とはいってもお金のかかるビジネスです。2007年頃には、さすがに当社も資金面で厳しくなってきました。資金調達のため、VCを30社周りましたが、全部断られました。このときは、「30社も周って全滅か。あと数ヶ月分しか資金がないし、さすがにダメかな?」と思ったりもしました。ただ、その後、方針を変えてVCではなく事業会社を回ることにしました。資金面だけでなく事業面での提携も含めて提案したところ、数社から資金を入れていただき、何とか持ちこたえることができました。

%e6%a8%aa%e5%b1%b1%e3%81%95%e3%82%93%ef%bc%92

潰れるバイオベンチャーがほとんどの中、当社が生き残ることができた理由は3つ。コスト削減を徹底したこと。研究開発はするけど時間のかかる基礎研究はしないで、研究シーズをビジネス化することに徹したこと。そして何でもいいから売上を立たせる努力をしたこと。これに尽きると思います。

あと、外部や内部環境の変化に応じて変わり続ける努力をしてきたこともあるかもしれません。バイオビジネスは技術や競合相手がめまぐるしく変わります。また、当社内でも変化は起こります。それに対して唯一の解決策はありませんし、勝ちパターンがあるわけでもありません。その時々に応じてフレキシブルに対応すること、もっというと「少し先を読んで変えていくことを常にやる」これが大事だと思っています。

航海に例えると、私は船長です。「嵐が来るかな?」と思えば、その先に進路を変える。この姿勢を大切にしています。なので、社員に会社のビジョンを話すときは、「これからは、この分野を重点的にやるぞ!」と言います。でも、頭の片隅には最悪の事態も常に考えています。そのことは社員も薄々気づいているかもしれません。ビジョンと現実を両立させることが経営だと思っています。

%e6%a8%aa%e5%b1%b1%e3%81%95%e3%82%93%ef%bc%93

世界中でリプロセルの商品を目にする日を夢見て

経営者として、身体を常に健全に保つことを心掛けています。特に上場してからは健康管理には気をつけています。運動の頻度を上げたり、早寝早起きをしたり、食事にも注意しています。会社の規模も大きくなり、背負うものが増えているので、「自分が倒れたら大変!」と実感するようになったからです。ちなみに朝は5時に起きて、7時には会社に出社しています。そして18時には退社してジムで泳いだり、ジョギングをしたりしています。

以前は、プレゼン資料をつくったり、エクセルでファイナンシャル面でのシミュレーションを自分でしていました。今は、作業ではなく、判断する仕事に徹しています。精神的に不安定だと判断が鈍ります。また、仕事をしていると、「腹立つわー」と思うことも正直あります。でも、ベストなジャッジをするためには頭と心の平静さが欠かせません。それには、運動をして身体を健康にしておくことが大事だと考えています。

%e3%83%aa%e3%83%97%e3%83%ad%e3%82%bb%e3%83%ab%e4%ba%8b%e6%a5%ad

現在は、日米欧の3極体制で進めています。グループ全体で100人弱、売上で10億円ほどです。創業期からしばらくは、何もないところから新しいものを生み出す「0→1」のステージでした。上場前後で「1→10」まで来ました。これからは、10を100や1000にしていく段階に入りました。私にとっては未知数の領域です。それはバイオビジネス全体にもあてはまることかもしれません。このステージをどのように進めていくかが今後の課題です。今までのマネジメントスタイルやビジネスモデルでは通用しないかもしれません。そこは、前述の通り、フレキシブルに対応していくしかないと考えています。とても前例が通じるとは思えませんので。

再生医療は、万能ではありません。ほとんどの人は、大病や難病にかかるわけではありませんので、その恩恵を受けられる人は特定の人に限られます。ただ、これにより今まで助からなかった命が救われることにつながるので、これからも当社はこの分野に注力していきます。そして、当社を世界有数のグローバル企業にしたいと考えています。世界のどこに行っても当社のロゴや名前が入った商品を目にすることができる。そんな世界が来る日を夢見ています。

%e6%a8%aa%e5%b1%b1%e3%81%95%e3%82%93%ef%bc%94

プロフィール

大阪府出身。1991年東京大学工学部卒業後、1996年同大学院にて工学博士号を取得。1996年マッキンゼーアンドカンパニーにて経営コンサルタント、1997年からスリーエムジャパンで新規事業の立ち上げプロジェクトに従事。2004年リプロセル社に取締役として入社、翌2005年から代表取締役社長。2013年JASDAQに上場。その後、欧米企業4社を買収し、現在はReproCELL EuropeおよびReproCELL USAの会長職も兼任。趣味はスポーツジムでの筋トレや水泳。

このエントリーをはてなブックマークに追加

ピックアップインタビュー

2017/05/10 (水) vol.055 北原照久さん

株式会社トーイズ 代表取締役

2017/04/20 (木) vol.054 山崎大地さん

株式会社ASTRAX 代表取締役社長 民間宇宙飛行士

2017/02/15 (水) vol.052 小城武彦さん

株式会社日本人材機構 代表取締役社長

⇑ PAGE TOP