PT SUNTORY GARUDA BEVERAGE
Senior Manufacturing Director
サントリーとインドネシアの食品・飲料企業であるガルーダフードとの合弁会社として設立されたPT SUNTORY GARUDA BEVERAGEで生産担当役員を務める風間さん。サントリーの看板商品である烏龍茶のブランドマネージャーを6年半も務めるなど、主に生産、マーケティングの分野で活躍されています。今回は、ブランドマネージャー時代やインドネシアでの活動などについてお話しいただきました。
いろいろな個性を集めて最後に考えをまとめるのがリーダーの仕事
私は、理系の大学院を修了した関係もあり、サントリーに入社後、生産現場でコンピューターシステムを開発する仕事に就きました。その仕事に7年携わった後、いきなり烏龍茶のブランドマネージャーになりました。当時は、「マーケティングって何ですか?」という状態で右も左もわからない。部内で交わされる言葉もわからない。そんなド素人の人間が、いきなり主力商品の開発リーダーになったのです。
最初の一年は、とにかく知らないことが毎日のように起こる。でも自分は何をしていいのかわからない。部署の後輩の方が仕事はよく知っている。すべてに関して振り回されっぱなしで、自分でコントロールしている感じがない。周りに助けられながらなんとか仕事をまわしていましたが、随分と落ち込みました。二年目に入っても、まだマーケティングの業務を自分自身でまわせないまま。精神的につらい日々を過ごしましたが、三年目になり、ようやく「意外と論理的な世界なんだ」と感じられてきました。
商品開発をするとき、まず「いまのユーザーが烏龍茶を飲むときの気持ちとは?」というストーリーを仮説として考える。次にグループインタビューや一対一でのデプスインタビューをしたり、その仮説を定量的なデータとして集めるための市場調査の設計をする。そして、実際に調査をしてみて仮説が正しいかどうかを検証する。こういった仮説-検証のプロセスを繰り返していく。そして、最終的に「ブランドコミュニケーションの基本コンセプト」に仕上げていく。このプロセスを経験することで、「あ、マーケティングは論理的な組み立てが重要なんだ」ということがわかりました。
生産現場にいたときは、解決しなければいけない問題がその場で起こるので、課題を設定するのは比較的に簡単でした。でも、マーケティングは何もないところから課題を設定しないといけない。それには感性も必要なので、理系の自分には向いていないと思っていました。また、烏龍茶は当時発売20年のロングセラーブランド。過去のブランドイメージを残しつつ、新しい要素を入れていかないといけない。守らなければいけないところと変えるところの線引きが難しい。でも、最初に仮説を立て、そこから逆算して顧客の声などのファクトを集めて、ロジックを組み立てていく。それが仕事なんだとわかってから、「自分でもなんとかなりそう」と思えるようになりました。
あと、仕事をしているうちに、「自分一人で全部できなくていいんだ」と思えるようになったことも転機となりました。例えば、自分が苦手な部分は、それが得意な人に協力してもらえばいい。いろいろな個性を集めて、最後に考えをまとめるのがリーダーの仕事。そう割り切り、自分はまとめ役に徹することにしました。大局的に見て、「みんな、いろいろと考えがあるようだけど、一言でまとめるとこういうことだよね」このような考えを統合するスタイルを確立してからは、どんな案件でも「得意な人を集めてまとめればいい」そう思えるので、何が来てもあまり動じなくなりました。
ちなみに、烏龍茶は、ボトルの形やラベルも変化していますが、味も少しずつ変えているんです。以前は、ほかのお茶との違いを明確にするために少し濃いめの味でしたが、「食事とあわせてゴクゴク飲む」という実際の飲用シーンに合わせてすっきり、さっぱり飲みやすい味わいに進化させているのです。
インドネシアで格闘する日々
現在は、サントリーと現地の飲料企業との合弁会社であるPT SUNTORY GARUDA BEVERAGEで生産担当の役員をしています。当社は、インドネシアの国内市場向けにPETの烏龍茶やカップ入りの清涼飲料を生産・販売しています。インドネシアには多数の島がありますが、大きな島は4つです。そこに8つの工場があり、それをすべて管轄しています。インドネシアに来て3年経ちましたが、まだ格闘の日々が続いています。
インドネシア人は、よく「俺たちを信用してくれ」と言ってきます。でも、自分たちで納期を決めたり、それを日本のように厳格に守る意識が薄いので、そう言われてもなかなか信用できない。そもそも計画を作るのが苦手なので、最終的な納期から逆算して仕事をするのが不得意。理由を聞くと、「今まで、そういう教育を受けたことがない」とのこと。ただし逆に、日本人が計画を一方的につくって、「これでいいよね?」と確認すれば、相手もOKという。それでも遅れる。理由を聞くと、「俺たちがつくった計画じゃないから」、「このようなトラブルが起きることは想定していなかった」、そして最後には決まって、「自分たちはインドネシア人だから日本人のようにできない」と言ってくるのです。
怒りたい気持ちをぐっとこらえて、辛抱強く話をしていく(というより問い詰めていく)。すると、工場長は、「あの部下が仕事をしないから」と言い訳をする。その部下に聞くと、さらにその下のせいにする。でもそこで終わらせず、根気よく続けると、「それは工場長である自分の責任」と理解する。これを3年続けたら、「あの人には言い訳が通用しないので、きちんと説明しないといけない」と思われるようになり、責任を持って仕事をしてくれるようになってきました。つくづく継続が大事だと思いました。
インドネシアでは、結果が重視され、途中のプロセスを上司にはあまり報告しない風潮があります。なので、生産プロセスで問題が起こっても、自分で解決策を見つけられるまで報告をしてこないんです。悪いことが起こったとだけ言うと怒られる。結果として今日の生産数量が達成していれば、細かいトラブルが現場で起きていても、それでいいと思っているので言わない。でも、それでは生産性が上がっていきませんから、「問題があったら、途中でも報告していいんだよ。解決策を一緒に考えよう」、これも繰り返し伝えていかなくてはいけませんでした。日本では当たり前のことが、現地では理解されない。そんなことがまだまだあるので、3年経った今も道半ばです。
いつかはグライダーを乗りこなせるようになりたい
インドネシアの後は、せっかくなので日本に戻らずに、欧米でも仕事ができたらと思っています。のんびりできない性格なので、新しいことにチャレンジしたい。アジアとヨーロッパでは、マネジメントのスタイルが違うと聞いています。ヨーロッパで仕事ができると、一通りのスタイルを経験できる。ブラマネ時代からのテーマである「マネジメントとは何か?」との問いに対する新たな答えが見えてくるかもしれない。そんなことを考えています。
ブラマネ時代に、一年間、早稲田のMOT(技術系の経営大学院)でマネジメントについて勉強しました。知識経営の寺本先生、山本先生のゼミや授業で、「どうやって組織をコントロールをしていくのがいいか?」そういったテーマについて、自分で考えたり、グループでディスカッションをしました。それにより、知識のインプットだけでなく、「これって、一言で言うと、こういうことだよね」という話を統合するスキルを磨くことができました。いま、インドネシアでマネジメントに関わっていますが、このときの経験は役に立っています。
大学時代は、体育会の航空部に入っていて、グライダーで空を飛んでいました。エンジンがないので、飛んでいる間は風切り音しか聞こえないんです。それに3次元のコントロールをしないといけない。これは地上の乗り物にはない感覚です。当時は、飛んでから無事に降りるまで、必死に操縦をしていたので、気持ちよく飛ぶことができませんでした。でも、いま、仕事で複雑な人や組織に関する課題に対処するスキルを磨いています。いつか、このスキルを活かして、グライダーをコントロールして乗りこなし、気持ちよく空を飛べるかもしれない。そんなことを考えています。
東京出身。京都大学大学院工学研究科修了後、サントリー株式会社に入社。2006年早稲田大学ビジネススクール、MBA in Technology Management 修了。サントリー烏龍茶のブランドマネジメント、清涼飲料の国内、海外生産企画部門等を担当したのち、2013年よりインドネシアのグループ会社に赴任。2016年現在、生産、商品開発、品質保証全般を担当。