島商株式会社
11代目 代表取締役社長
胡麻油などの植物油や調味料を卸売りする「油の専門問屋」である島商株式会社社長の島田さん。300年前の享保年間に創業した老舗企業の11代目として伝統を守ると共に海外展開など新しいことにも積極的に取り組まれています。また、オリーブオイルソムリエとして良い油の普及や食育などのイベントも開催されています。今回は、300年企業の成功の秘訣や経営者として大切にされていることを中心にお話しいただきました。
300年企業の秘訣は進出と撤退の速さ
私は大学卒業後、石油関係の会社に勤め、米国でMBAを取得した後、家業の「油の専門問屋」である島商株式会社に入社しました。島商の創業は今から300年前の享保年間で1716年頃と言われています。私は2011年、39歳のとき社長に就任。数えて11代目になります。ただ、社長になる前に、このタイミングで就くのがいいか迷いました。
ちょうどその年に東日本大震災が起こりましたが、実は私の祖父は関東大震災(1923年)で家族と店員のほぼ全員を、小網町(現島商本社)で亡くしています。父は世代交代の大切さを考えての判断だったと思いますが、会長に退くと言いました。そのとき、たまたま岡山の出張先で創業600年の老舗企業の方にお会いし、その姿勢に感銘を受け、「島商の300年はまだまだこれから。自分がバトンを継いでいこう!」と決心しました。
島商は、江戸期には荒物・小間物商として生活必需品(提灯・蝋燭など)を扱っていましたが、明治に入り菜種油や胡麻油、ランプ用の灯油などを卸売りする「油専門問屋」となりました。
大正期には「これからは石油と自動車の時代が来る」と読み、ライジングサン石油(後のシェル石油)の特約店になりました。また、1960年代には自由が丘のガソリンスタンドに高級スーパーとレストランを併設した「シェルガーデン」を開設するなど、時代の変化に合わせて新事業に進出しています。その後、1973年の石油危機(オイルショック)を契機に日本の高度経済成長期が終焉し、過当競争(安売り)時代が始まりましたので、ガソリンスタンドとスーパーから撤退したことで、損失を最小限に食い止めることができました。
それ以降、家業である植物油や食材の卸売りに専念し、1956年設立の、シェル・ケミカル製品を扱う「東部ケミカル」とともに発展し、今日に至っています。
大学の應援指導部で人間形成の基盤をつくる
大学時代は應援指導部(応援団)に入りました。中学・高校と音楽をしていましたが、「勉強する気はないけど、なーなーでは生きたくない。自分を磨きたい」と思い、大学では体育会系に入りたかったのです。この時代が人生で一番辛く、今でも夢に見るほどです。(笑)
多くは書けませんが、特に8泊する夏合宿が壮絶でした。「遠足」と称して、1日で70キロを走ります。ただ、その方法は、走りだけでなく、うさぎ跳びや手押し車という「種目」が加わります。早朝に出て、日暮れに戻りますが、帰るときは吹奏楽団やチアリーダーの仲間が迎えてくれます。4年間、そんな経験をする内に、気力、体力、知力を磨き、「何があっても打ち勝つ力」を身につけることができました。また、人脈もできました。人間形成の基盤をここでつくることができたと考えています。
就職活動をするまで、「継ぎなさい」と言われたことも一度もありませんし、家業が何をやっているかよく知らなかったんです。ただ、就活前に父から事業の内容を教えてもらい、「家業のことも考慮して就職しなさい」とは言われました。当時はガソリンスタンドの事業もしていて、まずはその会社に入ると考えていたので、昭和シェルに入社しました。
2年間、大阪で販促の仕事をしていましたが、「家業を継ぐ前に現場を経験しておきたい」と思い、その後、ガソリンスタンドで働きました。出社は朝6時。給油から車磨き、塗装など実験プロジェクトで何でもやりました。つらいこともありましたが、ここでお客さんとフェイストゥフェイスで接する経験ができたことは大きかったです。今も、社長として新規顧客に営業に行くことがありますが、このときの現場経験がとても役に立っています。
島商に入る前に、米国のサンダーバード大学院(MBA)に留学しました。(MBAっぽく)理由は三つです。見識を広める、ネットワークを作る、英語力を身につけるためです。現在の仕事で直結で活きていることは、あまりないかもしれません。ただ、プレゼンの仕方は顧客や取引先に説明する際に役立っていますし、ディスカッションの進め方は社内で会議をするときなどで活きています。
また、グローバルな視野を持てたことで、ビジネスが海外にも広がりました。それまで島商は仕入れは国内だけ、売り先も天ぷら屋さんなど和食だけに限られていました。それが、海外からオリーブオイルの輸入を始めたり、イタリアンレストランなどの洋食店の開拓、海外輸出も開始しました。これもMBAの成果です。だた、一番の収穫は、MBA時代に妻と出会ったことかもしれませんね。(笑)
次の世代にバトンタッチすることが自分の使命
仕事をする上で大切にしていることは三つあります。一つは、継承すること。次の世代にバトンタッチすることが大切だと思っています。それは島商に入社した瞬間に感じました。「この火を絶対に消してはいけない。守り続けていかなければ」と強い使命感を覚えました。
二つ目は、社員を幸せにすること。それには自分よりも仲間を優先していくことが大切だと考えています。自分の都合で会社を伸ばそうとして社員にストレスをかけても、長続きしない。ストレスフリーな場にしていきたいと思っています。
これについては一つエピソードがあります。大学5年目のとき、もう留年できないので、生まれて初めてすべての授業に出てノートをすべて取りました。試験のとき、自分のノートのコピーが大量に出回っている。しかも、そのおかげで自分よりも良い成績をとる人がいる。でも、そんな人たちを見て、「みんなが幸せになってくれればいい」と自然に感じられました。周りを優先するのは、昔からの私の性格なのかもしれません。
三つ目は、当社のコアコンピタンシーである「油専門、問屋専門」にこだわること。継承していくことを大切にしているので、大それたことをするつもりはありません。あくまでも伝統を守ること、本業を磨く姿勢を貫いていきたいと考えています。
ただ、本業を強化する上での新しい取り組みはドンドンしていくつもりです。その一つとして、イタリアからオリーブオイルを輸入する事業を2005年から始めました。イタリア中のオリーブ農園を周り、プーリア地方カッツェッタで情熱的な農園主と出会い、辞書を片手にイタリア語で交渉した結果、輸入させてもらうことができました。まだまだ規模は小さいですが、広げていきたいと思っています。
「油なら島商」と言ってもらえる存在へ
私たちは問屋なので、一般の消費者にはほとんど知られていません。”油屋の島商”を、もっと多くの人に知ってもらうには、どうしたらいいのだろう?と考えていたとき、たまたま妻が応募した菜園が当たりました。ちょうど、レストランを経営している取引先にバジルの作り方を教えてもらっていたときだったので、「菜園でバジルを栽培し、島商が扱っているオリーブオイルをベースにしたペーストを作って食事をする会を子供向けに開こう!」と思いつきました。
その会では、菜園で作られたバジルを採り、それを持ち帰ってアンチョビとオリーブオイルを入れてペーストを作る。それをご飯やパスタに載せて食べる。それで、オリーブオイルの良さと島商のことを知ってもらう。そして、会での写真を撮り、オイルの瓶に貼ってオリジナルのオリーブオイル瓶を作る。すると、皆さん喜んでくれます。その姿を見ると嬉しくなります。
社長に就任した年に、AISOオリーブオイルソムリエの資格を取得しました。オリーブオイルなどの植物油は体にいいものです。セミナー活動を通じて「良い油」の普及にも取り組んでいきたいですし、先の話のように「食育」のイベントなども積極的に開催していきたいと考えています。
来月、享保年間に創業した3社で「享保の会」を開きます。享保2年(1717年)創業の新潟県南魚沼の酒蔵「青木酒造」、享保10年(1725年)創業の日本最古の胡麻油メーカー「竹本油脂」と島商の3社です。これまで300年に渡り支えてくださったお客様や取引先の皆様への感謝と伝統の次世代への承継に対する思い込め、開催します。
「油なら島商」そう言ってもらえる存在になりたい。そのためには、油についてはどこにも負けない会社になる必要があります。これまでに先代たちが踏んできた歩みを振り返ると共に伝えていくことも大事ですし、周囲の話に耳を傾け、これからの時代の流れを読むことも必要だと思っています。そして、「油はやっぱり島商だよね」と言ってもらえる会社にしていけるように、今はとにかく目の前の仕事に邁進しています。
慶應義塾大学卒業後、昭和シェル石油株式会社に入社。1999年渡米、MBA(経営学修士)修了。2003年島商株式会社(植物油脂卸売販売)入社。イタリアよりオリーブオイルの輸入業務を開始。輸入会社(株)ゴーマーチャンツを設立。新しい市場開拓を行う。2008年 島商株式会社専務取締役就任。2011年 代表取締役社長就任(11代目)。AISOオリーブオイルソムリエ取得後、セミナー活動を通じ「良い油」の普及に努める一方、イベントを通じ食育などの取り組みも始める。2013年 東部ケミカル(株)(石油化学品卸売)取締役に就任。2014年東部ケミカル(株)代表取締役社長に就任。
*東部ケミカル(株)は洗浄剤、溶剤、石油化学品卸売業。
*(株)ゴーマーチャンツはイタリアオリーブオイル輸入販売を行う会社。