リーダー語録:松尾成美さん1
フリーの写真家として歌手、俳優、女優、政治家の撮影をする
私は、実家が佐世保で写真館を経営していたため、将来は家業を継ぐつもりでした。写真のことを学びに東京の専門学校に入りましたが、芸術コースを選択したため、撮影の現場のことは全くわからないまま。「身近でプロのスキルを学ぼう」と卒業後はプロカメラマンが撮影で利用するレンタルスタジオのアシスタントとして働き始めました。でも、この仕事は、機材のセッティングなどの作業もあり、3K(きつい、汚ない、危険)と言われ、朝から晩まで諸々の仕事があり、休日もない。「人間の働く場所ではないな」と思いながらも必死でついていきました。
そのうちに、ニューヨークの著名な写真家であるリチャード・アベドン氏に師事していたカメラマンの泉純さんから声をかけてもらい、アシスタントになりました。泉先生からは、「いつかフリーになるんだろ?それなら作品が必要だよ」と言われてました。そこで、アシスタントの仕事と並行して自分の作品を撮ることを開始。ただ、当時、給料はほぼ家賃に消えていたので、バイトを掛け持ちする日々。「いかにおカネをかけずにいい作品を撮るか?」ひたすら考えました。
幸い、先生からいろいろな方をご紹介いただき、撮影した写真を相手にあげることを条件に、衣装からスタジオ、外人モデルにヘアメイクさんまで無料で手伝ってもらうことができました。それもすべて一級品。素材がいいので、いいものがドンドン撮れる。いい作品がたまっていったので、それを見せたらアシスタントにも関わらず直接仕事の依頼が来るようになりました。初めての仕事は、雑誌広告用の洋服の撮影で、その写真は女性雑誌ELLEの見開きで掲載されました。それをアートディレクターに見せたら、今度はまた別の仕事が来るようになり、先生から「そろそろ出なさい」と言われ、3年目にフリーになりました。
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リーダー語録:松尾成美さん2
フリーになってからは、主にプロの女性モデルを中心に撮影の仕事をしていました。プロが相手なので、洋服の着こなしもきまってる。ヘアメイクもバッチリ。こちらが、「こんな感じで」とアバウトに言うだけで、モデルが勝手に表情や仕草をきめてくれる。すべてが完璧に仕上げられているので、いいものが撮れて当たり前でした。お陰様で、その後、歌手や女優、俳優をはじめ安倍晋三首相など政治家の方まで撮影する機会に恵まれました。
例えば、歌手の福山雅治さんを撮影したときのこと。福山さんは自分のカッコイイ部分をよ〜くわかっています。でも、撮影のときは、わざと三枚目ぶって周りを和ませようとしていました。あと、嵐の松本潤さんのときは、部屋の中での撮影というシチュエーションだったので、担当編集者が「ジャケットを脱いでください」と言ったら、スタイリストが「これでコーデネートーとが成立しているのでジャケぅッとは脱がせたくない」と言いだし、なかなか撮影に入れない。「困ったな」と思っていたら、松本潤さんが「じゃあ、靴下を脱ぐよ。それなら部屋っぽいでしょ」とありがたいことを言ってくれたのです。それにはスタイリストも何も言えません。周りの状況をいち早く理解してくれて助け船を出してくれたことを今でも覚えています。
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