Leaders1000 リーダーが語るの人生の軌跡

vol.055 北原照久さん

2017/05/10 (水)
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北原照久さん

株式会社トーイズ
代表取締役

横浜ブリキのおもちゃ博物館をはじめ全国で7ヶ所の博物館を運営する株式会社トーイズを創業した北原照久さん。世界的なブリキのおもちゃコレクターとして世界の著名人との交流を持つ他、テレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士として24年間レギュラー出演。72冊もの著書を出版し、年間150回にものぼる講演のため全国を飛び回るなど多方面で活躍されています。今回は、ご自身のキャリアや次々に夢を実現してきた成功の秘訣についてお話しいただきました。

たった一つの言葉で人生が変わる

僕は、小学生に入る前から反抗期が始まっていました。勉強嫌いで喧嘩ばかりの日々。態度も成績も悪い。いつも3人いた兄姉と比較されることにコンプレックスを感じていました。荒れた生活を送っていたこともあり、中学3年生のとき学校を退学になってしまいました。義務教育での退学ですから当時はとても落ち込みました。でも、そのとき母からこう言われたんです。「退学になったけど、お前はタバコを吸わないところがいい。お前の人生これで終わったわけじゃない。これからの方がずっと長い。人生はやり直しはできないけど、出直しはいつでもできる」。この言葉にものすごく勇気づけられました。

また、こんなこともありました。雨の日に新しく買ってもらった長靴を履いて水たまりに入ってバチャバチャしていたとき、母から「お前は優しい子だね。こんな小さな花を踏まずによけて遊ぶんだから」と言われました。僕は全然意識していなかったんです。でも母は、僕の良いところを見つけて褒めてくれた。すごく嬉しかったのを覚えています。それまで、周りから「お前はダメだ!」と言われ続けてきた。でも、母は責めるどころか褒めてくれる。母の言葉で何度も救われました。この歳になっても母からの言葉は深く心に残っています。

小学校からテストは名前だけ書いて白紙で出していたので、当然0点。ただ、何とか入学できた高校一年の中間テストで60点をとることができたんです。なんてことはない、すべてABCの三択のテスト。えいやで○をつけたら60点。そのとき、担任だった澤邊利夫先生が感激して「お前すごいじゃないか!やればできるじゃないか!」って褒めてくれたんです。本当に嬉しかった。「あ、自分はやればできるんだ!」と素直に思いました。それから次の期末試験に向けて猛勉強を開始。でも、これまで勉強したことがないので、勉強のやり方がわからない。そこで教科書を丸暗記することに。すると、今度は70点がとれました。澤邊先生は、もっと喜んでくれました。

それからは先生に褒められたい一心で、生まれ変わったかのように勉強に打ち込みました。すると、ビリから800人ごぼう抜きで学年トップの成績になったんです。卒業式では総代を務め、大学にも進学することができました。先生から言われた「やればできる!」この一言で僕の人生が変わりました。たった一つの言葉で本当に人生が変わったんです。そのとき、「言葉にはすごいエネルギーがあるんだ!」と思いました。僕は、モノのコレクターでもありますが、実は言葉のコレクターでもあるんです。それは、子供の頃に言葉が持つ力を実感したからなんです。

大学生のとき、オーストリアのインスブルックに留学しました。ヨーロッパには古いものを大切にする文化があります。ホームステイ先だった家庭でも、暖炉の上に年季の入った銅鍋を飾っていました。そして、「これはひいおばあさんの代から使っている鍋なの」と話しながら料理をする。すると、どの料理もとてもおいしく感じられる。「あー、古いものを大切にする暮らしっていいな」このときの体験が古いものに興味を持つきっかけになりました。

帰国後、近所で粗大ゴミとして捨てられていた古い柱時計を拾いました。持ち帰って家で油を差したら動き出しました。実は、これが僕のコレクション第一号なんです。それから骨董屋で時計やラジオ、レコードなどを集め始めました。僕は「ブリキのおもちゃ」のイメージが強いと思いますが、最初は「生活骨董品」を集めることに興味があったのです。その後、子供時代によく遊んでいて壊してしまったブリキの消防車と全く同じモノを発見してから、「ブリキのおもちゃコレクター」としての道を歩み始めるようになりました。

37歳のとき、「これまでに集めてきたコレクションを展示する博物館をつくろう」と株式会社トーイズを創業。横浜の山手に「ブリキのおもちゃ博物館」を開館しました。「好きなことをビジネスにする」という夢を実現させるための起業でしたが、社員はたったの3名。おカネはコレクションを買うためにすべて使っていたので貯金はゼロ。カネなし、人脈なし、ノウハウなしの「3なし状態」からのスタート。銀行は全く相手にしてくれないので、保険会社から1500万円借りました。でも、すぐに底をつく。それからもおカネの面では相当苦労しました。

つらいときをどう乗り越えたのか?僕は4つのことを心掛けてきました。①人が喜ぶことをする、②自分の幸せに気づく、③悪い言葉を使わない、④幸せのふりする。特に最初の頃は、幸せなふりをして、楽しそうに振る舞っていました。おカネの面では苦労していたけど表に出さない。貧乏くさいことは一切しない。ある意味、やせ我慢です。武士は喰わねど高楊枝の精神です。でも、そうしながら、自分のやる気や夢を熱く語っていると、応援してくれる人が次々に出てくるようになりました。

おカネや人脈がなくても夢は必ず叶うものと思っていました。それは、高校時代に「やればできる!」ことを実際に体験していたからです。「楽しいと思うこと、ときめくことをあきらめずに続けていけば必ず成功する!」そう思っていました。おカネで苦労していたときも「コレクターとして自分は絶対に成功する!」と信じて疑いませんでした。結果、今では博物館を全国に7つ、海外でもニューヨーク、フロリダ、ロスなど6ヶ所でイベントをするまでになりました。

コレクターとしての僕の最大のコレクションは、実は湘南の佐島にある自宅なんです。ここは旧竹田宮邸で、海にせり出している白亜の建物です。アールデコ調の内装も素晴らしいですが、今の法律では禁止されているボートハウスが日本で唯一あります。この家を最初に見たのが32歳のとき。僕のコレクションが掲載された雑誌「ポパイ」の別のページに「海を庭にしてしまった家」というコピーでこの家が紹介されていました。一目で気に入り、「この家に住む!」と決めました。数年後、その家を今度は雑誌「BRUTUS」で見つけました。それは家を8億円で売り出すという記事。当時はまだ博物館も手掛けていなかったので、とても買える金額ではありません。でも、夢は叶えるもの。「叶える」という字は、口に十と書きます。十回口に出すと「叶う」というわけです。だから、「絶対にこの家を買う!」と口に出して十回どころか何百回も周りの人に言い続けてきました。

それ以来、ずっとこの邸宅のことを思い続けていました。もともと「海に住みたい」と思っていたので、「湘南に住もう」と海に面した家を探し始めたとき、その家が売りに出されていることを知りました。早速、この家のオーナーのところに、この家と出会うきっかけになった雑誌「BRUTUS」を持って、「この家に住むのが夢でした」と話しに行きました。すると、熱い想いが伝わったのかオーナーは家を譲ることにしてくれたのです。ついに長年の夢だった家が自分のものになったのです。初めてあの家を見てから17年目の49歳のときのことでした。本当に嬉しかった。僕よりもお金持ちで、この家を欲しいと思っていた人は何人もいました。でも、一番欲しかったのは僕だと思います。モノって、不思議なことに一番大事にしてくれる人の元へ必ず行くからなんです。

それ以外でも、僕は夢をすべて実現してきました。加山雄三さんや吉永小百合さんに会うこと、サンダーバードに乗ること、ブリキのおもちゃ博物館、そして佐島の家。加山雄三さんには17歳のときに「会いたい」と思って実現したのが52歳。35年かかりました。吉永小百合さんには60歳でお会いしたので43年かかりました。夢の持つエネルギーというのは本当にスゴイと思います。イメージして、想い続け、言い続けていると必ずいつか叶うんです。だから、「叶う」という字は、口偏に十ではなく、百とか千でもいいのかなと思っています。

成功の秘訣は3カン王とGNO

僕はこれまで、いろいろな夢を実現してきました。でも、すべてが順風満帆だったわけではありません。これまでに挫折や悔しい思いをしたことは何度もあります。そう見えないのは、見せてこなかっただけ。人生には、つらいことがたくさんあります。でも100のつらいことがあったら、101の喜びがある。喜びの方が多いと思ったら乗り越えられる。だから、つらく困難なときでも、プラス発想でいることが大事です。人生、良いときもあれば悪いときもある。プラス発想で、良いときは感謝する。悪いことは「難」が「有る」から起こる。でも、それをひっくり返せば、「有難」=「有難う」となる。難が有っても「有難う」と感謝すれば「難(ピンチ)」も逆転します。だから、「ピンチはチャンス」。ピンチが来たと思ったら、「あ、チャンスが来た!」と思うのです。

ただ、常にこのようなプラス発想を持ち続けるのは正直、難しい。だから、トレーニングが必要なんです。僕もマイナス発想になりそうなときがあります。一人で考え事をしているとき、つい愚痴をこぼしてしまうことがあります。そんなときは、愚痴の後に肯定的な言葉をつけるようにしています。これを「プラス言葉で終わる」と言っています。例えば、講演で全国を飛び回っているので、毎日のように飛行機に乗ることがある。でも、飛行機で移動すると疲れる。そんなとき、「疲れたなぁ」と言ってしまう。でも、その後すぐ「でも、子供の頃、あんなに乗りたかった飛行機にたくさん乗れるようになって幸せだな」と言うようにしています。あるいは「今日はお客さんが少なくてヒマだなぁ」と愚痴ったら、「でも、おかげで店の中を片づけることができて良かった」というようにプラス言葉で終わる。起業して間もない頃は、特にいろいろと問題が起こりました。でも、問題があったお蔭でこのようなトレーニングをする良い機会にもなりました。

事業をやっていると、うまくいかないことの方が多い。でも、どんなに悪いときでも、くよくよしない、愚痴らない、恨まない、妬まないことが大事。世の中で愚痴を言って成功した人はいないと思います。言葉には「言霊(ことだま)」と言われるように、言ったことには霊が宿る、つまり大きな力があるんです。だから、自分が落ち込むような言葉は口にしないことです。僕だって、これまでに泣きたいこと、悔しいことはたくさんありました。そんなとき、言い訳や愚痴、文句を言いたくなる。だけどそれをグッと飲み込む。そして、その悔しさをエネルギーに変えて今までやってきたんです。

プラス思考を持ち続けるコツは「3カン王」。これは、関心、感動、感謝の3つの頭文字をとった僕の造語です。まず何にでも関心・興味を抱く。そして、良いことがあったら感動し、その喜びを素直に声に出して感謝を伝える。この習慣をつけるとツキが向こうからやってきます。運とかツキは待っていてはダメで自分から呼び込まないといけないんです。例えば、おもちゃの収集だって、お金を払えば手に入るというわけではないんです。だから、関心を持ちながら面白いおもちゃを探し、見つけたときは感動して喜び、骨董屋さんに「ありがとう!」と感謝してお金を払う。すると、次にその骨董屋さんが何か見つけたとき、真っ先に声をかけてくれるんです。感謝の謝は「言葉で射る」と書きます。感謝するときは、相手の心を射る言葉で表現することが大事なんです。いつも愚痴を言ったり、何でも否定するような人の元にそういう話が来ることはありません。「3カン王」を実践してきたから、ツキを呼び込むことができたと思っています。

夢を実現させる秘訣は3つあります。まず夢を熱く情熱的に楽しく語ること。夢は一人では絶対に叶えることはできません。一人でできるのは寝て見る夢だけです。「これをやりたい!」と思ったら、情熱的に熱く、多くの人に夢を語るんです。100回語れば1人は力になってくれるはず。1000人に語れば10人、1万人に語りかければ100人が力になってくれます。100人が力を貸してくれれば百人力。そうすれば夢は実現します。僕もそうすることで多くの夢を叶えてきました。

二つ目は、夢が実現したことを具体的にイメージすること。例えば、佐島の家も購入する前に、この家に住んだときのことを鮮明にイメージしました。玄関にロボットを置き、チョコレートケースの中にコレクションを置く。あと、不思議だったのが、天井は一段高いとイメージしていたんです。まだ、部屋の中を見ていないので、天井のことは知らない。でも、実際に買って住んでみたら、本当に一段高くなっていた。それくらい細部までイメージしていた。だから、この家に住むことができたのだと思います。

三つ目は、夢が実現するまでやり続けること。想い続ければ、夢は叶います。佐島の家も、「この家に住みたい」と想い続けました。それに、「この家に絶対住む!」と周りに言い続けました。住むまでに17年かかりましたが、あきらめずに続けたことで実現しました。体は食べ物でつくられます。心は聞いた言葉でつくられます。でも、未来は話した言葉でつくられます。「この家が欲しい」と言い続けたことで、自分が望む未来をつくったんです。「無理」と言えばできません。でも、「夢がある」と言えば叶います。

人生で成功する秘訣は「GNO」です。これは義理、人情、恩返しのローマ字の頭文字をとったもので尊敬する横浜のドンともいえる藤木幸夫さんから教えてもらった言葉です。先ほども言いましたが、夢は一人では絶対に叶えられません。いい人、ついている人との出会いが大切なんです。そういう人たちと出会うには、自分の波動を上げる必要があります。そのため、僕は、一日に何度も、自然に向かって「ありがとうございます」と言って感謝しています。中学までは自分の波動が低かった。だから、同じ低い波動の人間を引き寄せていました。どこに行っても悪い人たちと出会っていた。ただ、高校に入ってから一切出会わなくなったんです。それは自分の波動が上がったから。波動を上げるには、「感謝」「有難う」「祈り」をすることが大事。そして、人の恩に感謝して、恩返しをする。すると、周りから愛され、応援されるようになります。人間として正しいことをすることが、実は成功の一番の秘訣なんです。

宇宙へ!コレクションを次の世代へ!

50代になってから、ダイビング、ウクレレ、エレキギター、サーフィン、ゴルフを始めました。ゴルフはシングルの腕前です。それに子供の頃から加山雄三さんに憧れていましたから、ギターも大好き。好きで夢中になって練習していたら、いつの間にかCDを出すまでになっていました。ライブもやっています。60代に入ってからは、キーボードと手品も始めました。もともと好奇心が旺盛なので、何でもやってみたくなるタイプ。それに新しいことを始めるのに年齢は関係ないと思っています。興味を持ったものを全部やってみる。何事にもワクワクして挑戦する。それが人生を楽しむコツだと思っています。

早ければ数年の内に宇宙に行くことになりそうです。民間宇宙飛行士の山崎大地君が、大きな気球を取り付けた宇宙船で行く「宇宙への切符」をプレゼントしてくれたんです。米国のアリゾナから出発し、5時間くらい滞在する予定で日本人の第一号になります。宇宙から地球を客観的に見てみたい。国境のない世界を見てみたいと夢が膨らんでいます。あと、宇宙旅行に備えて、67歳のとき無重力体験をしましたが、最高齢記録だそうです。

 

テレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」は今年で24年目の長寿番組ですが、実は皆勤賞は僕だけなんです。テレビはこの他に地元の番組を3本。それにラジオの出演もある。講演は年に150回はしているので、ほぼ毎日、講演しているような感覚です。今69歳ですが、人生で一番忙しいですし、充実もしています。ほとんど毎日仕事をしているので休みがなく、海外旅行なども仕事を絡めて行くことになります。でも、「仕事は楽しく、遊びは真剣に」をモットーに楽しみながら仕事をしています。

20歳でコレクターとしての道を歩み始めてから、49年間、ありえない数のモノを一人で集めてきました。実はコレクションの中に占めるブリキのおもちゃの比率はたったの2割なんです。あとは、あらゆるジャンルのモノです。いろいろな種類のおもちゃ、明治大正昭和時代のポスターや看板、企業マスコットなど20世紀の庶民の前にあったものです。例えば、100年前につくられたおもちゃを手にして、作り手や持っていた人たちの暮らしを想像するのが好きなんです。それに、集めてきたのは古い品々だけではありません。21世紀の現代作家の作品もあります。

昔のおもちゃの中には、当時、数百円で売っていたモノが、今では世界のオークションで5万ドルなんていう高値で売られているものもあります。それがわかっていれば、「捨てずにもっておけば良かった」と思われるかもしれません。でも、僕のコレクションは、将来高値で売れそうという考えで選んだものは一切ありません。買ったものは一つも売らない。49年買いっ放しだからです。コレクションはすべて自分の目で見て、触れ、自分の琴線に触れたものだけしか揃えていません。本当に好きで集めた自分の宝物なんです。

現在、僕が集めたコレクションは10万点以上あります。現在、7つの博物館で展示していますが、全体の3割ほどしか展示できていません。あとは、延床面積で1500坪もある倉庫にすべて保管しています。40年以上かけて収集してきたコレクションですから、どれも愛着があって全部飾ってあげたいんです。それに、僕のコレクションには、誰もが一度は目にしたことがある懐かしいものも少なくありません。20世紀の庶民の生活を知ることができる貴重なモノでもあります。

今の僕の夢は、75歳までに大きな博物館をつくることです。そこで僕のコレクションをすべて展示したいんです。もし、建ててくれるという人がいたら、喜んですべてのコレクションを寄贈したいと思っています。僕のコレクションを通して20世紀の日本の生活習慣や文化を伝え、次の世代に残していく。これは神様から与えられたミッションだと感じています。人には寿命がありますが、モノは誰かが保存すれば何年でも残ります。「この博物館を日本の貴重な文化遺産とする!」次の夢の実現を、これからもイメージし、想い続け、言い続け、そして必ず実現させます。

プロフィール

1948年東京生まれ。ブリキおもちゃコレクターの第一人者として世界的に知られている。集めたものは骨董から現代アートまで多分野にわたり膨大。横浜、箱根、河口湖、羽田空港などで常設展示を行なっている。テレビ、ラジオ、各地での講演会でも活躍中。「こころに響く100の言葉」サンクチュアリ出版、「たった一言が人生を動かす 88の名言」中日映画社など著書多数。

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