Leaders1000 リーダーが語るの人生の軌跡

vol.039 星野晃一郎さん

2016/06/28 (火)
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星野晃一郎さん

株式会社ダンクソフト
代表取締役C.E.O.

生産性向上のための社内業務システムやWEBサイト の構築などを手掛ける株式会社ダンクソフト代表の星野さん。オフィスのペーパーレス化、ワークライフバランス重視、ダイバーシティ経営など時代に先駆けた取組みを次々に行い、その画期的な活動はメディアにも多数取り上げられています。現在は各地にサテライトオフィスをつくり、地方にいながら都市圏と同じような働きができる仕組みづくりにも取り組まれています。今回は、様々な企業活動についてお話しいただきました。

オフィスに2000枚しか紙がないペーパーレス企業

高校時代から音楽を始め、将来はプロになりたいと思っていました。当時は、フォーク全盛の時代。大学生になってからも音楽活動ばかりで勉強をしない日々が続きました。さすがに就職活動に失敗して、音楽をやりながら塾で働いていました。そんなとき、ある人からコンピューターのことを聞き、いじっている内に、「コンピューターは音楽と同じように自分の世界がつくれるんだ!」ということに気づきました。それに、28歳になっていたので、「もう音楽では食べていけない」そんな思いもあり、ソフト開発を行うデュアルシステム社(現・株式会社ダンクソフト)に入社しました。

ところが入社3年目に創業社長が急逝。ご遺族から「会社を継いでほしい」と言われ、突然社長になりました。その間、コンピューターに関するありとあらゆる仕事をこなしました。お陰で、「コンピューターのことでわからないことはない」それくらいの専門知識・スキルを身につけることができました。ただ、人脈は全くない。そこで、ニュービジネス協議会(現・東京NBC)に入ることにしました。

そこでは勉強会がたびたびあり、あるときミッションが与えられました。それは、「15%の定常成長ができる企業をつくる」というもの。これは5年で2倍にするというペース。さすがに、この高いハードルを一人で達成することは無理。社員みんなの力が必要だと考えました。では、社員のモチベーションを上げるにはどうすればいいか?たどり着いた結論は、エンパワーメント(権限移譲)と働きやすい職場づくりの二つ。そこで、まずは下からひっくり返すことに決めました。

バージョン 2

例えば、新卒で入ってきた社員2名を採用担当にしました。採用担当になると、「うちの会社はこんなにいいですよ」と学生に言わないといけない。でも、当時のオフィスは引越し後のダンボール箱が散乱。寝袋で床に寝ている社員がいる。どちらかと言えば汚いオフィスでした。そこで、いい会社と言えるようにオフィスをきれいにすることに決めました。具体的に取り組んだことは、オフィスのペーパーレス化。原則、紙を必要最低限のものを除き、すべて廃棄することに決めたのです。そして、コピー機も全部捨てました。意外に社員の抵抗にあったのがFAX。3年かかりましたが、これもすべて捨てました。

これは今でも徹底していて、現在、オフィス全体にある紙の数は2,000枚を切り、保管スペースは1㎡ほど。通常のオフィスにある壁に沿って並ぶ書棚も、机の引き出しも当社にはありません。もっというと、書類がないので、ペンや鉛筆、消しゴムもほとんどない。さすがに署名をするためのペンは最低限必要ですが、それ以外でこの20年、私はペンを使ったことがないんです。今でも、たまに書くと、腕がとても疲れるし、肩もハリが出てつらくなるくらいです。

当社は、このようなオフィスのペーパーレス化を自社だけの取り組みとしてではなく、顧客向けに支援サービスとして提供しています。ICTは、そもそも目に見えないので、意外と効果が伝わりにくいもの。なので、自分たちのやっていることをショールーム化して、顧客に見せて売るという手法をとっています。実際に目で見ていただくと顧客の反応も違うので、効果があると実感しています。

星野さん2

フラットで多様性のある組織が理想

以前はトップダウンで意思決定をしていたこともありました。ただ、創業社長ではないので、会社について強いこだわりがあるわけではない。それに音楽をやっていたので、どちらかといえば反体制側であったり、サブカル系だったりします。「上からコントロールしてやろう!」という考えは、元々ありませんでした。

実は、社名(ダンクソフト)すら自分で決めていないんです。これは、あるゲームソフトの名前で、そこからとりました。あと、今の会社のロゴもみんなの投票で決めました。ある日突然、出社すると社員から呼ばれて、二つのロゴ(丸と四角)を見せられ全社員の投票が行われました。「どっちのロゴがいい?いいと思う方に手を挙げて」と。結果、丸い方が多数だったので、そちらに決めました。そのときは、社長とみんなの意見が一致しましたが、ズレていたら、多数の意見を優先していました。

1DUNKSOFT_logo

私は社長ですが、みんなを引っ張っていったり、上から関わるようなリーダーシップがいいとは考えていません。むしろ、「やりたいっていう人がやればいい。その人を全員で支えるのがチーム、組織」だと思っています。なので、できるだけフラットな組織を意識しています。

当社には、「言い出しっぺ制度」というものがあります。「これをやりたい!」と初めて言った人にやらせて、その人が不利にならないようにする制度です。一人の力には限界があるので、いかに多くの人からアイデアを出してもらい、より良い方向にもっていけるか?それが大事だと思っています。その意味では、ダイバーシティ(多様性)も意識しています。当社には変わった人が多いんです。会社で変わった取り組みをしているので、そういう人が集まってくるのかもしれません。でも、多様性があるが故に深刻な対立にはならないし、いろいろなアイデアが出てきます。

あと、国内だけでなく海外留学生のインターンも受け入れています。最初は2人のトルコ人が来ました。トルコには親日家が多いんです。明治時代に日本近海で沈没した軍艦の船員を日本人が親身になって助けたことが教科書に載っているからだそうです。そのため、東日本大震災があったとき、「自分たちも手伝いたい」といって、一緒に活動をしました。その後、当社にも入社してきましたが、異なる価値観に触れると、いつもと違う刺激があるので、効果はあると感じています。

星野さん3

ワークライフバランス重視のスタイルへ

当社では、ワークライフバランスを重視しています。例の言い出しっぺ制度により、育休を3年にしました。それに3年以上勤めた社員は、3カ月単位で合計1年間の長期休暇も取れます。仕事はあくまでも人生の一部でしかない。でも、仕事が人生のすべてだと思い、他のことを犠牲にしている人が多くいます。仕事だけの人生に疑問を持って欲しいと思っています。ちなみに、当社の企業理念は、「Love your life, love your time.®(時間は人生のために)」です。

ただ、この考え方は、当初、社員になかなか理解してもらえませんでした。「そんな甘いことで会社は成り立つの?」そんな不安な声が聞こえてくる。また、以前の当社は仕事偏重型で残業時間も多く、月150時間にのぼることもありました。あるとき、「残業をゼロにする」と言ったら、「もっと仕事をさせろ!」との声。会社の方針に不安や不満を持つ社員が辞めていき、賛同を得られるまでに5年ほどかかりました。

私自身、以前は仕事中心の人間でした。休暇もあまりとらず仕事に打ち込む。ただ、1998年にサッカーW杯を見にフランスに行ったことが転機になりました。子供の頃からサッカーが好きで、W杯は毎回テレビで見ていました。日本代表が弱い時代を知っていたからこそ、初めての出場に「絶対に見に行く!」と思い、初めて2週間の休暇を取りました。そのとき、フランスに行ってヨーロッパの人たちの生き方を見て衝撃を受けました。

2020VISION

例えば、現地でフランス人から、「どれくらい休むの?」と聞かれ、「2週間」と答える。すると、「え、たったそれだけ?俺たちは3ヶ月休むよ」とのこと。当時、日本では2週間も会社を休めないので、仕方なく会社を辞めて見に行き、帰国して就職活動をする人もいたほど。それにヨーロッパの人たちは、1日あたりの労働時間も短い。「だって、残業したら奥さんから怒られるんだよ。だから、勤務時間中はトイレに行く時間も惜しんで集中して働く」とのこと。

そんな国でも、一人当たりのGDPは日本より高い。決して日本人の方が能力が低いわけではない。そのとき、「あ、こういう働き方の方が生産性が高いし、人生全般が楽しくなるかも」と思いました。そんなこともあり、私自身、そして会社自体もワークライフバランスを重視するスタイルへ転換していったのです。

ちなみに、私は、サッカーだけでなく、テニスも好きで毎週土日の午前中は妻とテニスをしています。ラケットなどの技術の変化が早く、いかにそれに対応していくかが面白く、「これは経営にも通じるな」と感じています。あと、プレーだけでなく観戦も好きで、四大大会はすべて見に行き、グランドスラムを達成しました。社員に言う以上は、私自身もワークライフバランスを意識した生活を実践しているつもりです。

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2020年までにサテライトオフィスを20ヶ所設置するのが目標

当社は、創業してから長年、営業圏は山手線の中だけでした。ICTビジネスとはいえ、顧客と会うことも多く、その方が効率的だったからです。震災以降、BCPの代替え地を求めて 実証実験した徳島で 出会った優秀なエンジニアが「生まれ育った徳島で働きたい」とダンクソフトへ入社したのを機に、徳島にサテライトオフィスを設置しました。人が企業に合わせるのではなく、企業が人に合わせる。そこで働きたい社員がいれば、そこにサテライトオフィスをつくることにしました。現在は、北海道、栃木、群馬、高知、山口、マレーシアなど10ヶ所にまで増えています。

当社では、2020年までに全国にサテライトオフィスを20ヶ所つくることを目標にしています。私は、東京生まれの東京育ちなので、生まれてからずっと地方のことは考えずに生きてきました。でも、東京一極集中の弊害は多いし、そもそも東京は長期定住には向かない。本来は、自分が生まれた場所で仕事ができるのがいいと思っています。

3Kamiyama

そのことを子供たちにも知ってもらいたいと思い、山口県萩市でサテライトオフィスの実証実験をしました。中学校の被服室にサテライトオフィスを設置し、実際に中学生に徳島のオフィスとつないで会話をしてもらったり、HPのニュースリリースに記事をアップしてもらったりしました。そのとき生徒から、「遠く離れていても、普通に会話ができて、全国で仕事ができるのがすごい。萩に残りたいので、このようなサテライトオフィスを使ってみたいと思った」との声がありました。

まだ、将来の職業について具体的に考えられる年齢ではないかもしれません。でも、このときの経験が記憶の片隅に残り、例えば東京に出てきたけど、やっぱり故郷の萩で働きたい、萩に戻りたいと思ったとき、その選択肢の一つになればいいなと思っています。そして、それを日本全国に広げていきたい。それが今の私の夢です。

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プロフィール

1984年有限会社デュアルシステム(現:株式会社ダンクソフト)入社。創業者早逝に伴い、1986年株式会社デュアルシステム代表取締役就任。自らデジタル(ペーパーレス)を徹底し、日頃から紙やペンを持ち歩いていない。1980年代には電子手帳で、現在はスマートフォンでメモや予定表など管理している。また(社)東京ニュービジネス協議会ネットワーク委員長、株式会社中央エフエム社外取締役、日本パエリア協会理事、総務省地域情報化アドバイザー、徳島県集落再生委員会委員などダンクソフト代表取締役だけでなく合計17の顔を持ち、ICTを活用したコミュニティ構築にむけ積極的に活動している。

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