Leaders1000 リーダーが語るの人生の軌跡

vol.028 杉元崇将さん

2016/02/10 (水)
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杉元崇将さん

株式会社ポジティブドリームパーソンズ
代表取締役社長

ウェディングのプロデュース事業を主に展開する株式会社ポジティブドリームパーソンズを創業した杉元さん。ウェディングからスタートして、現在はホテル、レストラン、フラワー、バンケット、コンサルティングなど6つの領域へ事業を拡大。同社のコアコンピタンスである「感動創出技術」を活かすことで「感動で満ちあふれる日本を創ってゆく。」ことをビジョンに掲げて事業に取り組まれています。今回は、ご自身のキャリアや会社の歩みについてお話しいただきました。

大学2年のとき28歳までに起業すると決意

私は福岡県北九州市で生まれました。両親は会社員でしたが、父方の祖父が焼酎の造り酒屋、母方の祖父も旅館を経営していました。子供の頃、父方の実家に遊びに行くと、新しいテレビが近所で一番先に購入されていたこともあり、それを見に近所の人が大勢集まってくる。母方の実家では住み込みで働く従業員があちらこちらにいる。「自分は周りの人たちよりも商売に近い環境にいる」と漠然と感じていました。また、父親から「杉元家は昔から事業家として技術を継承し、商売を通じて地域に貢献してきた」という話を聞かされてきました。私が今、経営者としての人生を歩んでいるのも、こうした系譜や家庭環境にあったのかもしれません。

小学生になると、野球のリトルリーグに入りました。ポジションはずっとピッチャー。自分の投球次第で勝敗が決まる。そんな責任ある立場が好きでした。ただ、6年生のある試合で、押し出しで逆転負けをしたことがあります。それ以来、ポジションはライトに移されました。悔しくてたまりませんでしたが、そのとき、「負けるとはこういうことなんだ」と思い知らされました。このときから、「勝負事には絶対に負けてはいけない」「守るべきものは自分の力で勝ち続けなければ失う」と、人一倍の負けず嫌いになりました。悔しかったですが、このときの失敗経験が起業家としての私の原点でもあります。

大学2年のとき福岡のバーでアルバイトをしていました。そのとき、お店の常連だった佐藤さんという一人の起業家と出会います。佐藤さんは、広告関係の会社の経営者で、スタッフや仕事仲間とカウンターで飲んだ後、中洲のクラブへ繰り出す。会話を聞いていると、仕事への情熱や人望の厚さ、器の大きさなどが伝わってくる。それに、いつもセンスのいいファッションに身を包み、醸し出す雰囲気がとにかくおしゃれ。立ち居振る舞いや話し方、考え方などのすべてが当時の私にとって憧れでした。

佐藤さんは、なぜか私のことを気に入ってくれて、「杉元君、これからラーメンを食べに行くから、一緒においでよ」と誘ってくれるようになりました。いろいろと話をしていると、仕事と人生を思いきり楽しんでいることが伝わってくる。当時、佐藤さんは42歳。起業した年を聞いたら28歳とのこと。そのとき私に明確な目標ができました。「佐藤さんのようなかっこいい経営者になる!」「絶対に28歳までに起業する!」と決め、周りにも公言するようになりました。

就職活動をするときは、28歳で起業するとの目標から逆算し、「起業に役立つ会社」という視点で企業情報を調べました。当時はバブル絶頂期で内定をいくつももらいましたが、最終的に、創業100年を迎えるオフィス家具を扱うイトーキへの入社を決めました。理由は二つ。一つは、上場を翌年に控えていて、企業の上場前後を経験できることに魅力を感じたこと。二つ目は、社長の話に共感したこと。「オフィス家具が会社の環境を変え、CI(コーポレートアイデンティティ)を構築する重要なアイテムになる。そして、イトーキは日本のオフィスを変えるイノベーターになる」という話を聞いて、興味を持ちました。「ここで頑張れば必ず起業への道が拓ける!」ここから社会人生活が始まります。

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26歳の試練を乗り越え、30歳で起業

イトーキに入社して数年後にバブルが崩壊しました。そんなこともあり、入社4年目、26歳のとき、ある問題を抱えたイトーキの子会社へ出向することになります。与えられたミッションは、「子会社の黒字化」と「ビジネスモデルの再構築」。肩書きは課長でしたが、そこでの仕事は再建を任された経営者のようなもの。社員20人ぐらいの小さな会社でしたが、初めて企業経営を体験することになりました。起業を目指していた私にとっては経営を学ぶまたとないチャンス。この2年は、人生で最も仕事をし、最も勉強した期間でしたが、同時に最も苦しい時期でもありました。

経営の経験が全くないので、わからないことだらけ。特に骨が折れたのは銀行との折衝。当初は、再建への想いを熱く伝えれば銀行はお金を貸してくれると思っていました。でも、熱意だけではダメで、説得力のある中期計画を提示できないと銀行はお金を貸してくれないことを初めて知りました。BSやPLを一から勉強し、キャッシュフローの重要さも学びました。週末や平日の夜はビジネス書との格闘。また、イトーキの経営企画の方に再建計画の作り方を教えてもらう。まさに死に物狂いで勉強しながら、いくつもの課題を乗り越えていく。そんな日々を過ごしました。

最終的には、ダウンサイジングをするしか道はなく、子会社の規模は当初の「年商12億円、20名」から「年商9億円、12名」と縮小することになりましたが、2年で黒字化とビジネスモデルの再構築を実現することができました。その過程では、リストラを行う側のつらさを身を持って経験しました。対象者は全員が私よりも年上でしたが、トップとして断行しなければいけない。この再生の経験から、起業後に会社を存続させるための大切なノウハウを学び、会社経営の基礎を身につけることができたと考えています。

杉元さん3

出向して2年が経ち、起業の目標にしていた28歳になりました。そのとき、イトーキの本社に戻るように言われました。愛社精神もあったので、「このまま残るのもいいかな?」とも思いましたが、自分の軸を再確認したところ、「起業する」との方向性に変わりはありませんでした。ただ、当時は自分が起業できる状況にありませんでした。起業のネタはなく、人脈もない。上場や再生の経験はあるが、スタートアップの経験はない。そんなとき、オリジナルウェディングを提案する、創業間もないプランドゥシー(PDS社)に出会いました。「社長のビジョンも素晴らしいし、何より0→1(スタートアップ)を経験する機会」と思い、「ここで2年間勉強させて頂き、30歳で起業する」との目標を新たに定め、同社に入社することにしました。

実は、ウェディングビジネスは起業ネタの一つとして以前から考えにはありました。イトーキに入社して間もなく、会社の先輩の結婚式に出席したのがきっかけです。社会人になって初めて出たその結婚式は想像以上に素晴らしく、披露パーティーは本格的なフレンチレストランのよう。福岡で出た親戚の結婚式とは全くの別物。新郎新婦は感動の涙ですし、何よりもおしゃれで、とても感動しました。

そのとき、「東京の結婚式には何か重要な仕組みがあるはず」と思って、土曜にホテルで配膳や皿洗いのバイトをしました。でも、いくら調べてみても特別な仕組みがない。「ということは、結婚式というコンテンツに何かしらの編集を加えて仕組化すれば、新しいビジネスモデルが生まれる」と考えていたのです。PDS社はまさに自分の考えに近いビジネスを、ちょうど立ち上げたばかりだったのです。そこで2年間、ウェディング事業を勉強し、30歳になったタイミングで同社を卒業。レストランウェディングを主軸事業とするポジティブドリームパーソンズ(PDP)を立ち上げました。

杉元さんPDP

失敗の経験から”学ぶカルチャー”を会社につくる

起業はしましたが、資金がなかったので、当初はすでに資産と組織を持っているレストランのウェディング・コンサルティングからビジネスを開始しました。翌月の売上見込みもないまま契約確保に奔走。幸い何社かとの契約にこぎつけることができました。初年度は5,000万円の売上目標としていましたが、ふたを開けると1億円を突破。この成功体験は大きな自信となりました。その後も他社が敬遠するような難しい案件にも積極的に取り組むことで成果を上げ、売上を倍々ゲームで伸ばしていきました。

起業した1990年代後半は、ビットバレーと呼ばれた渋谷にITベンチャーが集中していて、私も起業家が集まるイベントによく参加しました。時代はITバブル真っ盛りで、ものすごい高揚感。既に活躍されているベンチャー起業家が来ると熱狂的な盛り上がりを見せる。その場では、私と同じ歳くらいの人が「上場します」とか「100億円くらい売上がないとダメだよね」という話を普通にしている。そこで、私も「設立10年で売上100億円」という目標を立てました。

ところが、実際には設立10年目の売上高は60億円と目標未達。そのとき、自分の経営力に課題があると思いました。理由を考えたところ、「離職率の高さ」が原因の一つとわかる。そこで、過去のデータから退職理由を分析したところ二つの理由が見えてきました。一つは「会社で思ったようなキャリアの成長ができない」。もう一つは「会社の方向性やビジョンが見えない」という不満でした。確かに、創業後は目の前の事業に忙殺され、人財育成の仕組み、会社の方向性を示してメンバー(PDPでは社員をメンバーと呼ぶ)が自分の未来を描ける仕組みがありませんでした。

そこで、離職率を下げるために、「PDP WAY」という新たな企業理念と行動指針を明文化しました。そして、この3年間は会社の成長をあえて止め、人材育成に集中することを決めました。これを、「身長伸ばさず筋トレしまくる戦略」と名付け、人財育成を主眼に置いた組織風土改革に取り組みました。ちなみに、PDPでは、会社の使命(PDP MISSION)を「常に新しい視点で考え、常に自らで開拓することで、多くの人達に”夢”と”可能性”を与えていく」としています。このような取り組みにより、離職率は大きく改善し、今では「働きがいのある会社ランキング」でも上位に選出されるまでになりました。

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また、売上目標の未達の原因として、海外進出につまずいたこともあげられます。2000年初頭の中国はGDPが年15%も伸びていて、国策で高級ホテルが次々と建設されていました。ここに大きなビジネスチャンスを感じ、中国に向けトップ営業を繰り広げましたが、相手が一枚も二枚も上手で交渉をまとめることができない。相手の交渉能力がものすごく高かったので、一緒に食事をしたとき、その秘訣を聞いてみました。すると、「中国では国策として毎年、優秀な人材を米国などのビジネススクールに送りMBAを取得させていて、私もその一人」とのこと。「なるほど」と思いました。

アジアでビジネスを展開するには、このようなアジアの優秀な人達と渡り合っていけるように経営能力を高めていかないといけない。そのためには、もっともっと勉強しないといけない。しかも、それは私だけではなく、PDPの組織全体で取り組んでいかないといけないと強く思いました。そこで、「この会社では学ぶのが当たり前」という「学びの文化」ををつくろうと、「PDPカレッジシステム」を導入しました。ここでは、ビジネスで必要な「スキル(技術)」だけでなく、「人格(心)」の形成にもつながる独自のプログラムを提供していて、全メンバーの受講を必須としています。

また、PDPカレッジのスタートと合わせて、私はグロービス経営大学院(MBA)に入学し、働きながら大学院で学ぶ二足の草鞋を履く生活をスタートさせました。トップ自らが率先して社外で学んでいる姿を見せることで、メンバーも自主的に学ばざるを得ないという状況を作り上げる戦略でした。私は、3年かけてMBAを取得しましたが、経営を体系的に学ぶことができましたし、ケースメソッドを通じて、たくさんの意思決定体験をすることで、経験値を上げることができました。また、MBAで一緒に学んだ方がPDPに入社したりするなど、多くの素晴らしい仲間と知り合うこともでき、とても貴重な3年間でした。

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日本一の感動創出企業として200年続く企業へ

PDPは、起業当初はウェディング事業を主にビジネスを展開していました。先輩の結婚式に出席したときに覚えた感動がきっかけですが、一貫して「感動の仕組み化」をテーマに事業を続けてきました。ただ、この感動創出の技術を結婚式という一生に一度きりのものではなく、日常の連続性の中に横展開していきたいと考えるようになりました。そこで、創業10周年を迎えた2008年を第二創業期と位置づけ、PDPを「感動創出企業」と再定義しました。ウェディング専門企業からの脱却です。顧客とのアクセスポイントを増やして、長期的に継続する関係を構築するビジネスモデルに再編成していくことにしました。

具体的には、ウェディングに加えて、ホテル、レストラン、バンケット、フラワー、コンサルティングの6つをPDPの感動提供の事業領域として定めることに決めました。例えば、結婚式を行ったホテルに継続的に宿泊していただいたり、レストランでの食事や、花をギフトとして継続的にご利用していただけるように日常の中に繰り返し使っていただくサービスへと横に展開していくというものです。このように取引が一度きりというフロー型に加え、継続性を確保するストック型ビジネスを導入することで事業の拡大を図っています。

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PDPでは、事業ビジョンを表現するため、「感動で満ちあふれる日本を創ってゆく。」というメッセージを掲げています。PDPは、世の中に「感動」という新たな価値を提供していく企業です。感動は、すべての人に生きる活力を与え、その活力で人は成長します。さらに、人は成長により夢と可能性を得ます。その作用が周囲の人達を巻き込み伝播することで夢と可能性にあふれた社会は創られると考えています。そして、感動創出という分野では日本ナンバーワンの評価をいただける会社、「日本一の感動創出企業」になることを目標としています。

PDPは創業以来、培ってきた経験やノウハウの集大成を「感動を創りだす技術=感動の技術化」と捉え、この技術をコアにしながら、すべてのサービスを通じて感動を偶発的ではなく必然的に創りだすメカニズムを日本中に創りたいと願っています。そして、世界遺産のように、人々の心に永く語り継がれていく企業へ。PDPは200年継続する企業を目指しています。

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プロフィール

杉元崇将 Takamasa Sugimoto
1967年生まれ、福岡県出身。
1989年に株式会社イトーキに入社。オフィススペース全体の空間設計や、CI(コーポレートアイデンティティ)に伴うオフィス移転プロジェクトなどに多数参画。1995年に大手ウェディングベンチャー企業に入社後、1997年にウェディングプロデュースを中心とした同社を設立。現在に至る。2012年、MBA取得(グロービス経営大学院)。
現在では「ブライダル業」から「感動プロデュース企業」への転換を目指し、多くの社員を牽引している。

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