Leaders1000 リーダーが語るの人生の軌跡

vol.026 ひぐちまりさん

2016/01/23 (土)
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ひぐちまりさん

樋口眞理事務所
エンパワーメントプロデューサー

自分も人も力づけ、自分らしく輝き夢を叶える生き方を伝えるエンパワーメントプロデューサーであるひぐちさん。レストランウェディングの草分けである「オリーブの丘」の代表としてウェディング業界を牽引してきた一方、モナコ王室主催の舞踏会にも参加するなど多方面で活躍をされてきました。今回は、ご自身のキャリアやエンパワーメントライフについてお話しいただきました。

家族の中に居場所がなかった子供時代

私は、50歳を過ぎた今でこそ「エネルギッシュな人」と言われますが、子供時代は劣等感が強く、人間関係も下手で、とても暗い子でした。気難しかった父は、母や姉に手をあげることもありました。でも、なぜか父は私には一度も手をあげたことはありません。今から思うと馬鹿げた話ですが、幼ない私は自分がつまはじきにされているように感じ「私はこの家族の一員ではないんだ」と考えるようになりました。

加えて6歳年上の姉は耳が聞こえませんでした。その姉を抱え、母が苦労しているのを見ていました。「家族の役に立たなければ…。家族の役に立てば自分の居場所ができる」そう思い、子供なりに何とか役に立とうとしたものの子供だから何もできない。私は自分に「役立たず」という負のレッテルを貼りました。

一方で小学校では、極度の人見知りでクラスメートと打ち解けられない。ところが成績は良く、先生からはかわいがられる。そのため、いじめられる。小学4年の時、「こんなに友達がいない私は結婚できるわけがない。一人で生きていくしかない」と思いました。

専門学校を卒業する時、「結婚できない」と思っていた私は「外資系企業ならキャリアをつめば一生働ける」と聞き、モルガン銀行という外資系の金融機関に入社。事務職で入りましたが、2年目のとき「ディーリングの部署へ異動したい」と言ったら、すぐOK。ところが、異動後問題が発覚。実は私は英語が話せなかったんです。この部署は帰国子女、MBAを持ている人達が中心で、英語が話せるのは当たり前。だから、誰もまさか私が英語を話せないとは思っていなかったのです。

朝8時からの会議は英語で行われます。私は毎朝6時半に出社して話す内容を英語でまとめて何とか乗り切る。その後、全世界のディーラが集まるニューヨーク研修に行き、一番の成績をとりました。周りから「すごいね」と言われましたが、周りの期待がプレッシャーとなり体を壊しました。また、為替で世の中を動かせると考えている人たちを見て、「ついていけないな」とも思いました。

ひぐちさん1

そんなとき、友人から自己啓発セミナーに誘われました。講師はハワイ在住歴の長い日本人女性で、目の上を青く塗り、ハワイアンテイスト満載。少し怪しい感がしましたが、話を聞きながら「なんて自由に生きているんだろう」と嫉妬混じりの憧れもあり、4日間のセミナーすべてに参加しました。

そこでは二つのことを学びました。一つは「観察すること」、もう一つは「事実と解釈を区別すること」それができれば感情に振り回されることがなくなるとのことでした。これらは、今でも私の考え方のベースになっています。

そのセミナーに参加しているとき、ある建築企画会社の社長と知り合いました。その方は、喜界島という小さな島の出身で「私は戦後、ユニセフからもらったミルクで育てられた。あの支援がなかったら死んでいただろう。大人になったら自分が途上国の子供達を助けると決めたんだ。」と、様々な寄付活動をしていました。活動の一つに「地球上から飢餓を終わらせる」ことを目的にしたハンガープロジェクトがありました。その話を聞いて「素晴らしい」と思い、その会社に転職させてもらい、社長秘書になりました。

その方は、年間に億単位の寄付をしていたので、世界のあらゆる会議から招待されていました。例えば、オックスフォードでの世界人口会議に行ったときは、ダライ・ラマと会う機会があり、マザーテレサとは話をすることもできました。また、米国のカーター元大統領のプライベートレセプションを開催するなど貴重な経験をさせてもらいました。

「この人のためなら何でも頑張れる」「この人をサポートして世の中を変えていきたい」純粋にそう思えたので、仕事では何でもできました。この会社で勤めていた時、初めて自分の居場所を感じました。

hunger project

ウェディングプランナーの道を選ぶ

29歳のとき、セミナーで知り合った方と結婚しましたが、結婚式を開く気はありませんでした。既に一緒に住んでいたし、仕事も忙しい。それに式をあげる意味も感じられない。でも、母から「いつ式をするの?」と問い詰められた夫が不覚にも「今年中にします」と答えたため、2ヶ月で準備をすることになりました。

当初はイヤイヤでしたが、「どうせやるなら来た人が楽しかった!と言ってもらえる式にしよう」と考え、当時では珍しかったフリースペースで新郎新婦が自らプロデュースする結婚式をすることに決めました。式をするにあたり夫と決めたコンセプトが二つあります。

一つは、来ていただいたゲストの方に「楽しかった」と言ってもらえるパーティにすること。お招きした250名の方は忙しい方ばかり。何時に来て、何時に帰ってもOK。自由に歌ったり、踊ったり、話したりすることもOK。サンフランシスコで友人が主催したハウスパーティーのような自由なスタイルにすることにしました。

二つ目は、寄付金を集めること。ハンガープロジェクトの活動をしていたので、参加者からいただいたお祝いを寄付することにしました。この二つを実践した結果、多くの方から「楽しかった」との感想をいただけ、寄付も300万円近く集めることができ、大成功で終えることができました。

パーティ1

その直後にバブルが崩壊し、不動産不況が来ます。会社も、新たな収入源として自社ビルをパーティー会場として貸すビジネスを始めました。すると、「結婚式として使いたい」との要望があり、自分自身の結婚式と国内外でプロデュースしたイベントの経験を頼りにウェディング事業を立ち上げました。無事に立ち上げた後は、独立してレストランウェディングをプロデュースする「オリーブの丘」を設立しました。ここからウェディングの世界に飛び込むことになります。

設立した1990年当時は、結婚式の9割がホテル・結婚式場で行われ、形式が重んじられる時代。女性は「クリスマスケーキ」に例えられ、25を過ぎたら売れ残り扱い。招待状は親の名前で送る。結婚式の7割に仲人がつく。お色直しは平均2回。披露宴中はほとんど席にいない新婦は、「ひな壇に飾られた着せ替え人形」とも言われていました。

レストランで結婚式をする提案に、ブライダル業界からは「結婚式をないがしろにしている」と猛バッシングを受けました。そもそも希望するお客様がおらず、ネットの無い時代に告知する術もなく、食べていけない時代が4年間続きました。

ただ、1995年頃から、いわゆる「ジミ婚ブーム」が来ます。従来の形式的なスタイルから一軒家やレストランでのウェディングが人気になってきました。堅苦しい事やお涙頂戴はNG。会社関係者を招待するよりも友人と楽しみたい。そんな時代が来て、ようやくビジネスが回り始めました。

また、2000年代に入ると大人の結婚式の時代が来ます。25~35歳の比率が8割、おめでた婚や再婚が3割。それを受け、結婚式の役割を従来の「ゲストから祝福される場」から「ゲストをもてなす場」へ変えませんか?と提案したところ、こちらも受け入れられ、多くの方にご利用いただきました。

ひぐちさん2

ウェディングのビジネスを手掛ける中、マナーの勉強を始めました。それまでは、「マナーを学ぶと型にはまり自分らしくなくなる」と思っていました。でも、「個人が開催する最もフォーマルなパーティである結婚式をプロデュースするプロとして知っておくべきである」と思ったのです。そこで、国際マナー研究家である畑中由利江さんが主宰するプロトコール(国際儀礼)を教える「エコール ド プロトコール モナコ」でマナーの勉強を始めました。畑中さんは、現在モナコ在住でモナコ公国に設立された人道支援団体アミチエソンフロンティエール日本支部の理事長も務められるなど、グローバルに活躍されています。

そういう方から正式にマナーを学んだことで、「日本人は言葉ができないから海外で良い待遇を受けない」と思われる方が多いようですが、実際は言葉以上にマナーを身に付けていないことがその理由だと知りました。マナーが良いと、サービスが格段に良くなります。グローバル化するこれからの時代にテーブルマナーとエスコートは必須と思いました。

そして、ここで学んだマナーのことを新郎新婦に教えるサービスを始めました。当初、新郎は嫌がります。「なんで、こんな面倒なことをしないといけないの?」と。でも、新郎にエスコートされると新婦が嬉しそうに「幸せです」と言います。すると、新郎の気持ちがガラリと変わり真剣に取り組んで下さる。エスコートを身に付けることで、お互いへの思いやりの心が育まれていく。マナー講座を受講された新郎新婦は結婚式当日の立居振舞いも美しかったです。

私にとって結婚式は3時間のイベントではなく、人の可能性を生み出し、幸せな未来を創作する場でした。普段は、「ありがとう」とか「愛してます」と思っていても、なかなか言えないものです。本当はそういう気持ちが自分の中にあるのに、フタがされていて見えない。でも、そのフタを少し取り除くと心から感謝の気持ちが言える。そして、自分の宣言で、未来を創りだす。結婚式は、隠れている本当の自分の大きさ、素晴らしさに気づくことができる場だと思います。

畑中さん1

初めて人生を楽しもうと思ったモナコでの出来事

畑中さんとのご縁がきっかけで、モナコ王室主催の舞踏会に参加する機会がありました。そこで、自分の人生を変える衝撃的な光景を目にします。舞踏会では70歳を超えるマダムたちが、それぞれに真っ赤や真っ黒なドレスを着ている。その美しいこと。日本だと、それくらいの年齢では地味で、周りと同じような 無難な服が好まれます。でも、モナコではみんなバラバラで、しかも華やか。そのとき二つのことを思いました。

一つは、この国では年を重ねることは、人としての魅力を増すことなのだということ。もう一つは、人生を楽しむ覚悟を決めている人たちがいること。はたから見ると「ドレスを来てパーティに出て、気楽でいいなあ」と思うかもしれませんが、その分抱えているものも重いはず。「覚悟がないと、とてもこんなことはできない」と思いました。その時、「私も人生を楽しもう!」と覚悟を決めました。何の確信も自信もなかったけれど‥。

実は、それまで「人生を楽しむと腑抜けになる」と思い込んでいたんです。子供の頃から「自分には居場所がない。だから頑張るしかない。成果を出すしかない」と、自己否定を原動力に仕事をしてきました。ウェディングプロデューサーとして1万組以上の結婚式のお手伝いをしたり、テレビや雑誌にもバンバン登場。28万部以上の本の監修にも携わる。「ウェディング界のレジェンド」とも言われ、世間的には成功者でした。

パーティ2

でも、子供の頃からのネガティブな思考から抜け出せず、いつまで経っても自分に自信が持てない。周りから「すごいね」と言われるたびに、「本当は役に立たない人間なのに」と落ち込んでいました。どんなに結果を出しても、成功しても、幸せになれなかった。結果を出して嬉しいのはホンノ一瞬。すぐ「どうせ、いつかはダメな自分だとばれる」とマイナスなことばかり考えていました。

それがモナコに行って変わりました。「成功したから幸せになるのではなく、幸せだから成功するのだ」と。「順番が違うんだ」と。それまで世出口の見えないトンネルの中でもがいていた私が、光を見た瞬間でした。もちろん、すぐに変わったわけではありません。長い年月をかけてジワジワと変わっていきました。その変化は今も続いています。

会社で絶対絶命なことがあっても、「人生を楽しむ」と決めていると、「どうチャンスに変えるか?」と考えられるようになりました。モナコでの気持ちの変化があったことで、ようやく自分に自信が持て、「自分以外の誰かになろう」とする人生が「自分を表現する」人生にシフトしました。

ひぐちさん3

死ぬ間際まで人をエンパワーしていきたい

30歳で起業してから、20年以上に渡りウェディング業界にいました。当時は新郎新婦の年代だった私も、親御様の年代になってきました。ブライダル業界では、若い優秀なプランナーがたくさん育っています。その中で私は次第に、新郎新婦に限定せず、より多くの人たちの輝く未来をプロデュースしたいと思うようになりました。

そこで、「エンパワーメントプロデューサー」と称して、多くの人を力づける活動を始めました。その一つとして、「自分も人も力づけ、本来もつ才能・可能性に気づき、最高の自分を発揮することで自分の人生の主役として、自分らしく輝き夢を叶える生き方」を「エンパワーメントライフ」と名付け、こういう生き方、考え方を教える講座を開催しています。

講座を受けた方の中で、考え方がガラリと変わり、前向きになり、本人も驚くような成果を出す例をたくさん見てきました。それを見るたびに、「その人の性格なんて関係ない。過去になにがあろうがなかろうが関係ない。今何を持っていようがいまいが、それも重要でない」と思います。

それよりも、これからの未来で、「何をしたいのか?」「どうありたいのか?」」「そのために今何をするか?」が大切です。未来は過去の延長線上にはありません。誰の中にも、まだ気づかれていない無限の可能性があります。それを信じ、あきらめない限り、未来の可能性は無限だと思っています。

セミナー

「自分が幸せでないと人を幸せにできない。だから、自分で自分を幸せにする力が必要」とも思ってます。特に女性の場合、自分を押さえて他を優先する時代が長くありました。それが当たり前でうまくいく時代でした。でも時代は変わりました。「認められていない」「報われない」という思いがあると、「私はこんなにしているのに、わかってくれない」と自分で自分を苦しめてしまうのです。

一方、自分が幸せで余裕があると、人にやさしく、おおらかに接することができます。見返りを求めることもなく、「いいよ。好きでやっているんだから」と気楽に人のために動くことができます。すると、「自分は幸せ→人を応援する→人が成果を上げる→それがうれしい→喜んでいる自分をみて相手もうれしい」という良循環が生まれてきます。

日本ではまだまだ「女は若いほうがいい」という考えがあるように思います。でもそれじゃあ、若い女性は、年を重ねることが、望みを失うことになってしまいます。それはあまりにも時代錯誤な考えであり、幼稚すぎると思います。「年をとることって素敵なんだ。年を重ねたからこそできることがあるんだ」そう思ってもらえるように、自分自身がロールモデルになりたい。でも、私一人だけでは限界があるので、同じように、人生を愉しみ、年を重ねるごとに、輝きを増す女性を増やしたいんです。

偉そうなことを言ってきましたが、こんな考えを持てるようになるまで50年かかりました。でも、「50年の蓄積があるから、いろいろな話ができる。自分の人生を伝えていきたい」と思えるようになりました。自分の経験が、誰かをエンパワメントできるなら、これに勝る喜びはありません。そのためには、「最高に自分が幸せであることだ」と考えています。

「まりさんに会うだけで幸せな気分になった。元気になった。勇気をもらえた」そういう存在になりたい。そういう人を増やしていきたい。そして、死ぬ間際まで人をエンパワーしていきたい。そして「あ~楽しかった!みんな、ありがとうっ」とコロッといく。そんな人生を送りたいと思っています。

ひぐちさん5

ひぐちまりのエンパワメントライフ http://empowerment-life.com

プロフィール

自身が「人生を愉しむ」と覚悟を決めた瞬間から人生が変わり始めた経験をもとに、「誰の中にも無限の可能性がある」を信条とする。豊富な経験と最新脳科学、ポジティブ心理学、コーチングを融合した、愛とパワー溢れる指導に、「前より力を抜いても売上が3倍になった」、「離婚寸前の夫婦関係がたった3週間のワークでラブラブになった」など成果を作った本人も驚きの成果報告が後をたたない。
ひぐちまりのエンパワメントライフ http://empowerment-life.com/
カリスマ講師養成クラブ認定シニア講師
ICC国際認定エグゼクティブライフコーチ
青山学院大学経営学部コーチング入門講座・特別講師

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