Leaders1000 リーダーが語るの人生の軌跡

vol.021 大籔崇さん

2016/01/05 (火)
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大籔崇さん

株式会社エイトワン
代表取締役社長

愛媛県の松山に本社を置き、主に地元愛媛の工芸品や食品、観光事業を手掛ける株式会社エイトワンを創業された大籔さん。道後温泉での旅館運営からスタートし、今治タオル専門店、愛媛ミカンの加工品、砥部焼の販売など多岐に渡るビジネスを展開されています。今回は、ご自身のキャリアや地元での取り組み、将来の展望についてお話しいただきました。

パチンコで1,000万円を稼ぐ

私は、広島県福山市で生まれましたが、大学は瀬戸内海を越えて松山にある愛媛大学に進学しました。大学時代は授業にはほとんど出席せず、パチンコホールに週5〜6日通う日々。その中で自分なりの必勝パターンを研究し、確立させた結果、4年間でトータル1,000万円のプラスになりました。ただ、卒業試験にパスすることができず、留年することになります。

大学時代はパチンコしかしていなかったので、社会で生きていくスキルを一切身につけていない。「日本はこれから高齢化社会に入るし、将来厳しくなる。でも自分には何もない。やばい。何もないまま就職してもつらいだけ。たとえ入社しても40歳でリストラされて路頭に迷うかも?」そんなことを考えていました。それならと、自分が一番得意なパチンコメーカーを受けてみましたが、全く手応えがない。「台を作りたい」と言っても文系の自分はダメ。「やっぱり何もない自分を雇ってくれる会社はない」そう考えるようになりました。

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そこで、「まずは就職しないで自分で生きる術を身につけよう」と考えました。「景気とかに関係なく、どんなときでも生きていける力、堂々と自由に生きていける力をつけよう。それから世の中に出よう」と。ただ、周りはみんな就職しているので、そこからはみ出ることになる。当然、よくは見られない。幸い私は周りからどう見られるかは気にならないタイプなので、「自分で考えるように生きたい。それには大型の資格が必要」と考え、税理士受験の専門学校に入りました。

当時は、「お金があれば何でも悩みを解決できる。2億円くらいのキャッシュがあれば何とかなる」そう考えていました。ただ、税理士の資格を取っても、その額を稼ぐには相当な時間がかかる。そんなとき、ファイナンシャルプランナー資格取得のため株式の勉強を始めました。そこで、「株なら、うまくいけば早く大きく稼げるかもしれない。それにリスクをとるなら挽回のきく若い方がいい。何もない自分の突破口はここしかない。やるしかない!」それから税理士の勉強と株式投資を並行する生活が始まりました。

大籔さん②

株式投資で15億円の資産を手に入れる

株式投資は200万円の資金を元手に始めましたが、それは自分の欲との戦いでもありました。始めてからすぐに資金が35万円にまで減り、退場の危機にあいます。でも、そこから挽回し、3,000万円まで増やすことができました。そのときは、家をキャッシュで買うことが目標と考えていたので、「ここでやめて、家を買って税理士の資格を取って就職すれば、その後の人生なんとかなる。逃げ切れる!」と思いました。

でも、当時は「自分のやり方」と「相場の動向」がものすごく合っている感覚がありました。「勝てるチャンスがあるのに、みすみす逃すのはもったいない。トコトンまで行ってみよう」そこから覚悟を決めました。「人とは違う道で生きていこう。誰にも迷惑をかけていないのだから、やれるだけやってみよう!」と。それから、資産を一時、25億円まで増やしました。ただ、相場が変わり徐々に負けることが増えます。15億円にまで減ったとき、「もうダメだ。降参しよう」と自分の限界を感じて株式投資から手を引くことを決めました。

そして、次に目を付けたのが不動産投資でした。その流れで自分の資産管理をするために株式会社エイトワンを設立しました。「不動産を買って家賃収入を得て暮らそう。また、相場が良くなったら株式に戻ろう」と考えていました。何の志もない会社です。自分だけを潤すためにつくった会社でした。その頃は悪い業者につかまり、高い授業料を払ったこともあります。今思えば、「志がなかったから、こうなったんだ。自分だけのためにお金を使うのは良くない」ということを学ぶきっかけになったと思います。

大籔さん③

「お金があれば何でも悩みは解決できる」と思って株式投資を始めました。そして15億円の資産を手にし、それを元手に不動産投資をしました。ただ、ある時からお金を追い続ける行為に「何か違う」と感じていました。「充実した人生を送りたい。楽しく生きたい」と思っているのに、そう楽しくもない。死ぬまで生きていけるだけのお金はできた。でも、浪費して死ぬためだけに生きるのはイヤ。「このままではいけない」とは思っていました。でも、何をしたらいいかわからない。

株式投資をしていたとき、資産を失って退場させられてもおかしくない状態になりました。でも、そこから挽回して大きな利益を上げることができた。「自分は株式投資を通じてチャンスをもらった。この人は何かができると思ってもらったからこそ、こういうチャンスをもらえた。自分にも絶対何かができるはず。それは何か?それを読み解いて実践していくことが自分に与えられた課題」と考えるようになりました。

考えている内に、「やっぱり楽しく充実した人生を生きたい。それには、人に貢献して、喜んでもらわないといけない。自分は愛媛でチャンスをもらった。だから愛媛にお返しをしよう」と。そして、「愛媛を盛り上げるには、道後温泉が盛り上がればいい」とシンプルに考え、道後温泉の旅館「夢蔵(ゆめくら)」をエイトワンで運営する事業を始めました。これが私にとっては初めての仕事になります。

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カタチよりキモチが大事

当初、「何とかなるだろう」と考えていましたが、すぐにその考えが甘いことを思い知らされました。いきなりの仕事が旅館経営で、しかも代表として12人のスタッフをまとめていかなければならない。旅館や経営の知識はゼロ。スタッフの気持ちをまとめることができず、当初いたスタッフ全員が早々に辞めていきました。

「どうしたらスタッフが同じ方向を向いて長く働く環境をつくれるのだろう?」と必死に考えました。あるとき、「トップの仕事は指揮者の役割だ」とわかりました。上下の関係ではなく、バラバラのみんなの気持ちを一つにまとめること。ビジョンや理念を共有して、「同じ夢を持って頑張っていこう!」と伝え、共有すること。これが一番の仕事だと。それからは、自分の考えを口うるさく伝えていくことにしました。

また、旅館経営では、礼儀作法とかマナーがわからず苦労しました。ただ、やっていく内に、「それらを学んでも気持ちが入っていないとお客様に伝わらない。カタチよりキモチが大事」と考えるようになりました。それ以来、お客様が何を求めているかひたすら考えることにしました。誠心誠意接すれば、どんなカタチでも相手に伝わり、満足していただけることがわかったからです。

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仕事の経験がなかったので、失敗はたくさんしました。でも、「愛媛を盛り上げる」という軸は定まっていたので、あきらめることはありませんでした。失敗したら、その原因を分析して、「次はどうしよう?」と考え、実行する。それをひたすら繰り返すことで、一つ一つノウハウを蓄積していきました。

そして、行き着いた先が、「お客様に喜んでいただけないと自分たちは存続できない。この真理に基づいて行動しないといけない」ということ。「どうしたら楽しんでもらえるのか?」この視点をとても大事にしています。スタッフにも、「この想いをみんなが持って一丸となって取り組めば、何年か後には必ず伝わるから」と言ってきました。それまでは、どこを見て仕事をすればいいか定まっていませんでしたが、「軸ができたことで仕事がやりやすくなった」と言われるようになりました。

旅館の「夢蔵」を始めたとき、経営を学ぼうとSBI経営大学院に通いました。ここでは、経営だけでなく、中国古典など人間学を学ぶ講座がありました。一番学んだことは、「いい経営者になるには、正しい人間でないといけない」ということ。スキルよりも人間としてどうあるべきかの方が大事だということです。それまでは漠然とした不安がありました。「いい経営をするには、ものすごく頭が良い人でないといけないのかな?」と。でも、「そうじゃない。いい人間になれば、いい経営者になれるんだ」と気づいた。そして、「いい人間だったら自分でもなれる!」それ以来、迷いがなくなりました。

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不可抗力でさえも自己責任と考える

「自己責任」私はこの言葉を座右の銘としています。これまでの人生で勝負事が多かったので、結果を残さないと何も残らない。過程は評価されないという経験をしてきました。結果が悪かった箇所は、「自分が未熟だから」「自分に責任がある」と反省して、分析して、次に活かす。これを繰り返さないと良い結果を出せないことがわかったからです。

例えば、株式投資の場合、言い訳はいくらでもできます。やれアメリカで何が起こった。やれ戦争・テロが起こったから下がったなどなど。でも、自分にはどうしようもできない不可抗力さえも自分に責任があると受け止め、「読みきれなかった自分に責任がある」と考えないと何も学べない。そして学んだことを次に活かす。このことは相場をやっているときに鍛えられました。

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私にはストレスがなく、仕事で怒ることもありません。もちろん、人間なのでイライラや怒りの感情もあります。でも、だいたいそういう感情は、自分にとって不都合なことが起こったときに出てくるもの。それを誰かのせいにするのではなく、自分に責任があると考え、処理する。すると自分の成長にもつながるし、楽しく、幸せに生きていくことができます。そもそも冷静さを失うと良い結果を出せないですから。

「幸せは独り占めにしたら失われる」高校生のときに読んだ本に書かれていて、妙に納得しました。私自身、株で得た利益を当初は自分や家族のためだけに使っていました。でも、それで本当の幸せは得られませんでした。それから寄付もしましたが、限られた人にしか渡らないことに虚しさを感じました。お金はどれだけ持っているかではなく、「どのように使うか?」が大事だと改めて思いました。いまは、いろいろな事業を通して、みんなに喜んでもらおうと思って使っているのでとても楽しく、幸せを感じることができています。

大籔さん④

日本全体をイキイキと生きられる社会にしたい

「仕事が楽しい仕組み」と「いまの世の中の仕組み」が合致していないと感じています。豊かになったはずなのに、超高齢化社会の到来を前に「老後が不安」と悩んでいる人。仕事に疲れ「休日が唯一の楽しみ」と元気のない人が増えています。いまの仕組みが根本的に間違っているので、それを変えるチャレンジをしたい。「最高に面白かった」と言える人を一人でも多く出す世の中を実現させたい。これが私のビジョンです。

エイトワンを「21世紀型の新しい生き方、働き方を提唱できる会社にしたい」と思っています。一つの試みとして、できるだけ多くの会社をつくっていくつもりです。以前であれば、例えば売上1,000億円の会社をつくることが良しとされてきましたが、それよりも売上1億円の会社を1,000社つくりたい。

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規模が大きくなると、どうしても情熱は薄まっていきます。それよりも人生を賭けている熱い社長と、数人のスタッフがイキイキと楽しく働ける組織の方がいい。売上1億円なら、役員7人、パート3人の10人いれば運営できます。それを1,000社つくる。すると、7,000人の役員と3,000人のパートが生まれます。そして、その会社があれば役員は生涯現役で定年がありません。そういったビジネスを創り出せれば、年金もいらない。国にも頼らない。自分たちの得意なことで、自分たちの力で生きていく組織が生み出せます。

最近、地方では、いろいろなものが急激に変化し、失われています。それに合わせて組織やビジネスを変えていかなければと思っています。地方創生が叫ばれていますが、地方の人が元気にならないといけないのに、無理やりやらされ、逆に疲弊しているところもある。これらは本来、仕事でなくライフワークとして取り組むべきものです。

プリント

私たちは、これまでに愛媛、香川、兵庫、京都、東京に10社つくり、いまは成功ノウハウを蓄積しているところです。みんな楽しそうに働いていて、そんな姿を見ていると気持ち良くなります。信頼関係があって、困ったときは互いに助け合える。仲間と思える。そんな会社を増やしていきたいです。

働くことが苦でなく、楽しいと思える世の中を実現したいと思っています。枠にはめ込み、仕事をやらされていると感じると、不平や愚痴が生まれます。やりたくないことをやっていると、モチベーションを上げようと頑張っても限界があります。

でも、好きなことをやったらモチベーションは勝手に上がります。雑念がなくなり、クリエイティブなものを生み出すことに集中できます。そうすれば、好きこそ物の上手なれで、スキルも上がる。ハッピーにもなる。みんなが好きなことでイキイキと働く。それがシンプルに叶う世の中を私たちの事業を通して実現したいと考えています。

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プロフィール

1979年広島県福山市生まれ.愛媛大学進学を機に松山へ。在学中はパチンコに熱中し留年。卒業後、税理士資格を目指し専門学校に通いながら株式投資を始める。35万円を15億円に増やした後、エイトワンを立ち上げ、企業家に転身。「日本の遺伝子を、前へ」をキーワードに様々な事業を展開する。

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