Leaders1000 リーダーが語るの人生の軌跡

vol.019 町野弘明さん

2015/12/25 (金)
このエントリーをはてなブックマークに追加

町野弘明さん

株式会社ソシオ エンジン・アソシエイツ
代表取締役社長

教育、環境、コミュニティなどに内在する社会的課題を様々なネットワークを築きながら問題解決していくソーシャルマーケティング専門のコンサルティング会社である「株式会社ソシオエンジン・アソシエイツ」を創業した町野さん。日本唯一のソーシャルビジネスの経済団体である「ソーシャルビジネス・ネットワーク」の事務局長でもあり、ソーシャル活動の普及・促進を積極的に進められています。今回は、ソーシャルビジネスを始めた経緯や活動内容についてお聞きしました。

ソーシャルコミュニケーションからソーシャルマーケティングへ

私は大学卒業後、西武百貨店に入社しました。当時、セゾングループの代表は堤清二さん。実業家としてだけでなく、辻井喬のペンネームで詩や小説を書く文化人としても超一流の方でした。当時はあまり意識していませんでしたが、今から振り返るとビジネスとカルチャーを両立させた「ソーシャルアントレプレナー(社会的起業家)」と呼べる方だったと思います。

その後、主に官公庁のPR活動、いわば「ソーシャルコミュニケーション」を行う広告代理店に転職しました。そこでは、例えばODAのPRでは、「どこの国で橋をつくった。学校をつくった」ということをアピールする番組をつくりました。ただ、これは行政の目線から見た一方的な情報提供です。その頃から現地のNGOやNPOで頑張っている人たちがいることは知っていました。でも、こちらが宣伝するのはトップダウン型のみ。ボランティアなどのボトムアップ型の視点は全く抜け落ちていました。

日本では昔から「陰徳の美徳」があり、ボランティア活動は表に出さずに秘めてやることが美しいとされていました。一方、欧米では、メセナやフィランソロピーに代表されるように社会貢献活動を積極的に表に出していました。そんな中、1995年に阪神・淡路大震災が起こり、日本にも一種のボランティアブームが起こります。また、2000年初頭にNPO法が成立したこともあり、「これから日本でも現場サイドからのソーシャルな動きが活発化するのでは」と思いました。

町野②

「行政の立場ではなく、現場の当事者となって社会を変える流れをつくっていきたい」と考え、2001年に株式会社ソシオエンジン・アソシエイツを創業しました。この会社は、社会に内在する多様なテーマに対して、多彩な智恵のつながりに基づく創発的な問題解決を構想・実践していくソーシャルマーケティング専門の会社です。社名は、自らがソーシャルなエンジンとなりつつ、ネットワーク型で他とも積極的につながり(アソシエイツ)を持っていくとの意味を込めてつけました。

ちなみに、ソーシャルマーケティングは、フィリップ・コトラーが提唱した考えで、企業利益を追求するためではなく、社会が抱える様々な課題を解決する技法としてのマーケティング活動を指します。簡単な例では、アサヒビールが「うまいを!明日へ!」プロジェクトと称して、スーパードライ1缶につき1円を環境保全のために寄付をしていますが、このような企画を企業とつくっていくことをしています。

町野③

日本初で日本発のソーシャルビジネス・ネットワークを発足

起業後は、広告代理店と組み、「ソーシャルビジネス研究会」を発足しました。ここでは、CSRの国内第一人者である一橋大学(当時)の谷本寛治先生を座長に据え、第一線で活躍しているソーシャルアントレプレナーに集まってもらい、「ソーシャル活動のあり方とは?」などについて議論を深めました。この研究会は、当初1年間だけ行う予定でしたが、ソーシャル活動を広める流れを続けていきたいと思い、「ソーシャル・イノベーション・ジャパン(SIJ)」という団体を新たに立ち上げました。

SIJには、ソーシャルアントレプレナーだけでなく金融機関などの大企業も加わっていただき、イベントやセミナー、ワークショップなどを通して主に東京を中心にソーシャル活動を広める活動をしていました。その内に、経産省からソーシャルビジネスを東京だけでなく、地方にも広めていきたいとの話があり、協議会を地方の9ブロックにつくり、そこでビジネスモデルの研究や人材の育成を行うことを始めました。

町野④

最終的には経産省での取組みとSIJとを統合し、2011年3月に「ソーシャルビジネス・ネットワーク(SBN)」を発足しました。SBNは、ソーシャルビジネスによる新しい社会づくりのため、社会的企業の立場で同じ志を持つ団体や個人が知恵を結集し、つながり、力を合わせていく「日本初」で「日本発」による経済団体です。

SBNでは、「社会的課題を解決するために有志が立ち上がり、事業を起こし人を動かす。その理念が感動を共感を呼び、同じ志を持つ人々が集まって社会と経済を変えていく」というソーシャルイノベーションのプロセスを日本中、ひいては世界中に広めていきたいと考えています。ただ、活動をまさに開始しようとした矢先に東日本大震災が起こりました。

町野⑤

震災後3年間は生活の2/3を被災地で過ごす

SBN発足後すぐに震災が起こり、大きな社会的課題が新たに立ち上がりました。「これを乗り越えないとソーシャルビジネスが認められない」との考えから当初の予定を変更して、当面は復興支援をSBNの最優先課題としました。それから被災地を飛び回る生活が始まります。

しかし、当初、私たちの活動は受け入れられませんでした。復興よりもまずボランティアや寄付が求められたのです。行く先々で、「え、ビジネスですか?一体何をしてくれるんですか?」と復興に向けた活動には見向きもされませんでした。さすがに「完全によそ者扱いだし、ソーシャルビジネスで何ができるんだろう?」と無力感が漂いました。

そんなとき、陸前高田市の経営者の方々が「被災地こそソーシャルビジネスが必要かも」と話を聞いてくれました。陸前高田は、人口2万4千人の内、1割の方が亡くなり、市役所の職員も1/3が犠牲になるなど甚大な被害を受けていました。でも、ある方から「ソーシャルビジネスっていいね。一緒にまちづくりやろうじゃないか」と言われ、復興に向けた検討会議を開くことになりました。名称は「千年みらい創造会議」です。これも地元の方から、「千年に一度の津波が来たんだから、千年先のことを考えよう」との発案で決まりました。

町野⑥

会議は合計10回開かれ、「シリコンバレーのような起業家のまちをつくろう」「学校に行けない子供のための学校をつくろう」といった新しい街づくりのアイデアが議論されました。ただ、会議だけでは何も始まりません。街づくりを進めるための組織が必要と思い、「復興まちづくり会社をつくったらどうか?」と提案したところ、地元の方から「一緒に入って腰を据えてやって欲しい」と言われ、当社からも役員と資本を出すことにしました。

新会社の社名は「なつかしい未来創造」としました。「なつかしい未来」とは、北インドのラダックという昔ながらの生活をしていた小さな村に文明の文化が来て混乱を招いたことに警鐘を鳴らす意味で人類学者のヘレナ・ノーバーグ=ホッジ女史が提唱したコンセプトです。また、雑誌「ソトコト」の小黒一三編集長から、「スローフード、ロハスに続くキーワードは、なつかしい未来」と聞いていたこともあり、「被災地こそ古くてなつかしいところだけど、そこから新しい未来をつくれるかもしれない」と思い、この社名にしました。

この会社では主に二つのことをしています。一つは、インターンシップ事業です。瓦礫などの片付けのためのボランティアではなく、学生たちに地元の会社で働きながら学ぶ場を提供するものです。基本的に2週間サイクルでプログラムを回しますが、最初の頃は学生と会社側で話がかみあいません。でも1週間ぐらい経つと心が通じるようになり、夜な夜な議論して、一緒に事業のことを考えるようになります。そして、最終日には学生が考えた復興ビジネスプランを会社にプレゼンして終わるというものです。

町野⑦

もう一つは、インキュベーション事業です。例えば、復興医療特区を設けて、資格がなくてもお年寄りの方に訪問リハビリができる事業の立ち上げを支援したりしています。また、先輩起業家を呼んで、事業のアドバイスや悩みの相談に応じるメンタリングをしてもらっています。当初、陸前高田で40社の立ち上げをサポートする予定でしたが、更に釜石でも20社増やして60社の支援をしています。

このような活動をしてきたため、震災後3年間は1年の内、2/3を被災地で過ごす生活をしていました。移動に時間がかかるので、一度行くと1~2週間ほど現地にいます。波をかぶった家を借りて、合宿生活をする。そんな2拠点居住の日々を過ごしました。当初、よそ者扱いをされていましたが、一緒にいろいろな活動をしていく中で、徐々に地元の方に受け入れられるようになりました。

正直、今でもまだ「よそ者」の難しさは感じています。スタイルが違うとコミュケーションをとるのが難しくなるので、言葉や服装、立ち振る舞いなどはなるべく合わせるように意識しています。あとは同じ目標に向かって行動を共にしていくことも人間関係を築く上で大切だと思っています。

町野⑧

共感や信頼が貨幣に代わる資本となる世の中へ

震災からまもなく5年、被災地の復興へ向けた支援が少しずつ減ってきています。いかに持続可能なプロジェクトにしていくかが課題です。日本は、高齢化や人口減などの点で「課題先進国」と言われています。その中でも被災地は、その最先端にあります。高齢者や社会的弱者が増え、みんなで負担を負う中で多くの課題が出てきます。それをビジネスとして、どう解決していくか。被災地にこそソーシャルビジネスが求められると考えています。

陸前高田では、「ノーマライゼーションという言葉のいらないまち」づくりを提言しています。社会的弱者を区別せず、他の方々と同様に等しく豊かな生活が送れるような「誰にも居場所と出番があるまち」を目指すというものです。それが成り立つ上では、ビジネスをする側だけでなく、まちや世の中全体にソーシャルな考えが広まる必要があります。

町野⑨

そこで大事になるのが、信頼や共感です。例えば、「貧困などの問題を自分のこととして考えられるか?共感できるか?」といったことです。共感し相手のことを信頼できれば、「じゃあ、フェアトレード商品を買おう」というようにビジネスが成り立っていきます。これらは、いわば「共感資本」「信頼資本」といえ、貨幣に変わる資本となり得ると考えています。

今の資本主義社会では、おカネでつながっている人間関係がほとんどです。特に都会では、その傾向が顕著で隣の人も知らないなど関係が希薄になっています。問題がないときはそれでも構いませんが、災害やいざというときは支え合いや助け合うことが必要になります。そのときこそ、おカネではなく、信頼や共感でつながる人間関係が大切になってきます。

地方では今も昔も貨幣を介さない物々交換が頻繁に行われています。地元で取った魚を野菜と交換することなどがアチコチで行われています。このような関係ができると、おカネに振り回されることなく、自分らしい生き方ができるはず。そして、そういう人たちが多い社会こそ真に豊かな社会と言えるのではないでしょうか。

町野⑩

ヒトや社会のために働くコトに幸福を感じる未来へ

私たちは、今、「シフトラボ」というプロジェクトを進めています。これは、ヒトや社会のために生きたり働くコトに幸福を感じて、地方で働くことや社会に貢献できる仕事につくなど新たな一歩を踏み出したい人を支援する取り組みです。この背景には、カネやモノの利便性や効率性を重視する生活に疑問を持ち、「社会に役立つことに関わりたい」「好きなヒトやマチのために仕事をしたい」と考える人が増えている現実があります。

「地方でスローに暮らしたい」「社会に貢献できる仕事をしたい」と考える人に、地方で仕事が一日体験できるプログラムや、地域プロジェクトに参加して学びを得る機会を提供します。

一口に地方といっても、クオリティや幸せの捉え方が違います。誰にとってもベストなものはありません。100人いたら100通りの考えがあります。「どれが自分にとって望ましいのだろう?」「生き方や働き方を自分で見出していくか?」東北の良さ、九州の良さなどそれぞれです。たくさんの選択肢の中から自分が選ぶことになります。

町野⑪

ただ、今は選択肢が偏り過ぎていて「都市がすべて」と考える人が多いと思います。でも、選択肢がそれだけだと苦しくなります。地方にも地方の良さがあります。それを体験して、地方で働き生活するという選択肢もあることを知ってほしいと思っています。もしかしたら地方に行くと、都市で仕事をしていたときより収入は減るかもしれません。でも、それに代わる価値が手に入ります。実際、田舎に行くと「こんな生き方があるんだ」と考え方が変わる人が多くいます。

地方に行き、地元の方と一緒に時を過ごす。すると、「こういう人たちと一緒に働きたい、生活したい」あるいは「こういう人たちのためにコミュニティを良くしていこう」という気になったりします。利他や贈与の精神が持てるようになり、新たなワークライフを見出せる。そういう人が増えれば、豊かなまちになる。人のために働ける人が豊かなまちをつくる。そのような「ソーシャルタウン」を増やしていきたいと考えています。

もちろん、いきなり地方に住むことに抵抗がある方もいます。でも、一日でもいいから田舎の生活や仕事には関係ないテーマに触れてみる。そういうインターバルを持つことが大切だと思っています。テーマは貧困、環境、教育など自分が好きなものをチョイスする。場所もどこでもいいと思います。一年に一回でもいいので行く。そのまちを第二のふるさととして応援を続ける。すると、今までにない新たなつながりができ、人生が豊かになります。このプロジェクトを通して、みんなが好きなことにシフトできる機会を増やしていきたいと考えています。

町野⑫

プロフィール

流通企業の事業開発部門およびコミュニケーション分野のシンクタンクを経て、2001年株式会社ソシオ エンジン・アソシエイツを創業。社会・公共的分野を中心とした企画開発・プロデュース活動および広報・IT分野のプランニング・コンサルティング活動に従事。行政・企業・NPO対応の社会的マーケティング・プロモーション活動から、TV・インターネット等の放送・通信メディアや都市開発・空間開発領域における情報デザイン・コーディネーション活動まで、多数のプロジェクトに携わる。2005年社会的企業家支援プラットフォーム、NPO法人ソーシャル・イノベーション・ジャパンを設立。2008年度から経済産業省「ソーシャルビジネス推進イニシアティブ」事務局長を務める。2011年一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワークを設立し、専務理事・事務局長に就任。

このエントリーをはてなブックマークに追加

ピックアップインタビュー

2017/05/10 (水) vol.055 北原照久さん

株式会社トーイズ 代表取締役

2017/04/20 (木) vol.054 山崎大地さん

株式会社ASTRAX 代表取締役社長 民間宇宙飛行士

2017/02/15 (水) vol.052 小城武彦さん

株式会社日本人材機構 代表取締役社長

⇑ PAGE TOP